保育実践と質的研究:その「質」を問う | Fuminori Nakatsuboのブログ

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保育・幼児教育の理論と実践に関する記事を投稿します。

 今日、多くの保育学研究者が実践のフィールドに赴き、観察やインタビューを通してデータを収集・分析し、その成果を学会・論文・著書などの形で発表している。多くの保育者もまた、自らの園の実践事例を収集・分析し相対化することで、その成果を社会に発信している。こうした傾向は、『保育学研究』の掲載論文においても見ることができる。そこで採用される質的研究は、エスノグラフィー(Ethnography)、グラウンデッド・セオリー(Grounded Theory)、アクション・リサーチ(Action Research)、KJ法、複線径路・等至性アプローチ(Trajectory Equifinality Approach)など、百花繚乱の様相を呈しており、まさに保育学分野の中で市民権を得たと言っても過言ではない。
 質的研究とは、量的研究との対比で位置付けられる概念であり、ある状況の中で人々が捉える現実や、その現実との相互作用の様子を人々の主観性を尊重しながら理解する研究のことである。文脈の影響を排除して因果関係を見るよりも、人間の営みの文脈を壊さないで人間を見るために自然状況での観察を重視する立場は、複雑で複合的な保育の営みの中で、個別・具体的な現象を文脈の影響も踏まえて理解しようとする保育学関係者の志向と親和性が高い。
 とは言え、保育学分野における質的研究の隆盛は、必ずしも薔薇色の未来をもたらすわけではない。例えば、研究目的との関係で方法論が決定されるにもかかわらず、「質的研究ありき」で研究が行なわれ、なぜこの問いに質的研究で迫るのかが不明瞭な研究も散見される。また、「エッセイや報告書」「都合の良いデータの恣意的引用」「図で絵解きしているが根拠となるデータの欠如」「著者の主観的経験の自己主張」など、「薄い記述」(佐藤 2008)と呼ばれる研究も少なくない。さらに、巷には質的研究の進め方に関する書籍が溢れたことで、明らかにしたい問題よりも「手続き」「方法」が一人歩きしてしまい(麻生 2010)、保育現実のリアリティがこれらに絡みとられてしまうことも懸念される。こうした状況を踏まえるとき、百花繚乱の今だからこそ、保育実践を対象とした質的研究の「質」を問う必要があるのではないだろうか。
 それでは一体、保育学において「質」の高い質的研究を行うためには、何が必要なのだろうか。保育実践を対象とした質的研究の「質」をどのように判断し、評価すれば良いのだろうか。保育実践の中で、質的研究の利点が活かされるような、相応しい問題設定とはどのようなものなのだろうか。逆に、「残念な」質的研究とはどのようなもので、それは何が原因で、それをどのように乗り越えることができるのだろうか。
 今回の「保育フォーラム」では、質的研究に造詣の深い3名の論者の声に耳を傾けることで、保育実践を対象とした質的研究の「質」について検討する。最初に、柴山真琴氏(大妻女子大学)からは、「計画−実行−報告」という3つのステップに基づいた質的研究の「質」に関する論考をご提示頂く。次に、田中浩司氏(首都大学東京)からは、フィールドとの対話という視点から保育学における質的研究のあり方に関する論考をご提示頂く。最後に、二宮祐子氏(埼玉東萌短期大学)からは、ナラティヴのポテンシャルを活かした保育学研究の方途に関する論考をご提示頂く。本稿が保育学分野における質的研究の「質」を高めるための一助となり、保育実践の奥深さを捉えた知見の創出につながれば幸いである。

麻生武 2010 「「手続き」や「方法」を越えて」 『質的心理学研究』 第9号 1頁
佐藤郁哉 2008 『質的データ分析法:原理・方法・実践』 新曜社

初出掲載誌:中坪史典「保育学の研究方法論を考える(1)保育実践と質的研究:その「質」を問う」,『保育学研究』, 55(3),pp.105-106, 2017年12月