京都アニメーション事件 ② | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

例えば大口病院の48人殺しなどは、個人的に恨みなどあるはずがありません。テロかもしれません。そのようにテロと気が付かせない事件は沢山あるのかもしれません。

 

だんだん時間が経つにつれて、「京都アニメーション事件はテロらしい」と、あちこちで言われるようになってきました。僕はすぐに気が付きました。関係のないことを結び付けるのです。

文在寅は、「日本は損害をこうむることになる」と言いました。この言葉が一つです。「ああ、これはテロを意味するのだな」と僕はわかったのです。それから、京王線と小田急線の配電盤事故です。金曜日、電車が来ないので、何万人も道路をテクテクと歩いていました。恐ろしい光景です。

この3つが同時におきているのです。「何故、この日を選んだのか?」というと、参議院選挙を睨んでいたのに違いありません。この4つのキーワードです。文在寅が考えたのは、「安倍政権に打撃を与える」ということです。

電車の事故もテロです。何万人も歩いていたのです。みんな会社へ行けなくなって歩いていました。大変な騒ぎです。これも安倍政権にとってマイナスに働きます。まだまだ文在寅のテロは続くでしょう。

朝鮮人はしつこいですね。どんなことでも、「負けた」と言いません。どんなことでも「絶対に負けない」とするのです。もし、日本から「あれはテロだった」などと言ってきたら、今度は「あれは日本の自作自演だ」と言いだすのです。

何故、マスコミは京都アニメーション事件を起こした青葉真司を朝鮮人だと報道しないのでしょうか? 青葉真司などという漫画の主人公のような名前をつけて、こんな奴は朝鮮人に違いありません。

しかも、こいつは前科があるのだから、警察は本名がわかっているのです。何故、本名を出さないのでしょうか? 本名を出せば出すほど韓国との摩擦が大きくなるのです。代々警察の手法は、朝鮮人に触れないように、国際問題にしないように、国内問題に絞ってきているのです。

相模原殺傷事件の植松聖(韓英一)を報道したのは、韓国の新聞です。「我らの同朋が偉大なことをやった。日本人を45人も殺傷した、韓国の英雄である」と報道したので、わかってきたのです。韓国の新聞が書かなければ、朝鮮人だとわからなかったのです。

座間市の9人殺しの白石隆浩の事件もテロかもしれません。女の子をさらって食べてしまうなど、テロもいいところです。一人ならず、1週間に1人殺して、毎日人間の肉を食べていたのです。異常な朝鮮人です。

それから、大口病院の久保木愛弓の48人殺人事件も朝鮮人です。みんな見過ごしていますが、これはテロかもしれません。日本人は何だかわからないようにされてしまうのです。大口病院の事件はその後、どうなったのでしょうか? その後は報道しないので、素通りしてしまうのです。

例えば、東名高速道路に人が降ってきて、車がグチャグチャに轢いた事件がありましたが、どうなったのでしょうか? 死体の男女もわかりません。それだけグチャグチャになっていたのです。

しかし、そんなことはDNA鑑定をすれば男か女かはすぐにわかります。この遺体は自殺だったのか、橋から突き落とされたのか、全然報道がありません。おかしいのです。肝心な点はパッと隠すのです。次から次へと事件が起きてくるからそのうち、みんなが忘れてしまうのです。

世田谷殺人事件もそうです。次から次へと事件が起きてくるから、あれだけ大きな事件でも忘れてしまうのです。あれも韓国人が絡んでいるのです。どうしてだかわかりませんが、韓国人がからむと絶対に報道しないのです。

全体的に見ると、あのような全ての事件はテロかもしれません。日本人は「怨念や恨みで起きた事件だ」と言っています。

例えば大口病院の48人殺しなどは、個人的に恨みなどあるはずがありません。テロかもしれません。そのようにテロと気が付かせない事件は沢山あるのかもしれません。前にも電車の配電盤の事故は沢山ありました。老朽化による単独で起きた事故なのか、人為的な事故なのか、どうして起きたかわからないのです。ところが、電鉄の社員に朝鮮人は大勢います。そいつらは、何処に火をつければどうなるか知っているのです。

僕は前から言っていますが、小室佳代の周りでは、4人の人間が死んでいます。東京アニメーション事件で、証明されたでしょう。青葉真司は、20リットル缶を2つ持っていったら、あれだけ大きな事件を起こせたのです。

個人を殺すならば、ペットボトルに入れた2リットルのガソリンでよいのです。2リットルのペットボトルにガソリンを詰めて、「散歩しましょう」と小室敏勝さんを誘って、いきなりピュッとガソリンをかけて、振り向いたところでピュッと口の中にもガソリンをかけて、火をつければ、酸欠で死んでしまいます。一人の人間を殺すのには、2リットルのガソリンで充分です。その手口であのババアはやったのです。

保険会社は疑いをもったのです。自分でもやれるけれども、人にやられた可能性もあるのです。だから、7年間保険金が下りなかったのです。こんな方法はいくらでもあります。ガソリンを使った放火や火事などもできます。

僕の知っている人は、朝鮮人の女房がたまたま訪ねてきたのです。「1杯飲みましょうよ」と言って、睡眠薬を飲まされてしまうのです。睡眠薬を飲んで、たっぷり酒を飲まされたら、もう起きられません。

そこでパッと火をつけられたらもう終わりです。ボウッと燃えてしまいます。そんな事件はいくらでもあります。少なくともテロではなくても、朝鮮人の資金源になっていることは間違いありません。

凶悪そのものです。あの文在寅を見ていると、朝鮮人というものが「ひどい人間だ」ということがよくわかります。何をやっても引きません。「我々はテロなどやっていないよ。日本人がテロに見せかけて、火をつけたのに違いない」という理論です。

何でもそうです。「朝鮮人が電車を止めたのか?」と言われたら、「我々は電車など止めていない。あれも日本人の自作自演だ」と言うのです。これがオウム真理教の井上嘉浩がやった手口です。オウム真理教の施設にガソリンを投げ込んで「やられた!」とやったのです。自作自演は朝鮮人の手口だと知っているのです。

「あれはテロではない。日本人のやった自作自演だ」と言うのですから、どうしようもなりません。では、「朝鮮人はどうすればよいのか?」と言うと、朝鮮人とは付き合わないことです。一緒にご飯も食べない、酒も飲んでもいけません。何をされるのかわかりません。だから、朝鮮人と一緒に同席をしてはいけないのです。

僕のブログのコメント欄に「人種差別はやめろ」と書いている人がいましたが、人種差別ではありません。あまりにも朝鮮人がひどいから言っているのです。朝鮮人を差別などしていません。していないからこそ、「朝鮮人はおかしい」と言えるのです。

「人種差別はやめろ!」と言うから、報道できなくなってしまうのです。恐ろしい連中です。アンタッチャブルです。朝鮮人と付き合ってはいけません。「朝鮮人の中には良い人もいるだろう」と言うのです。良い人などいません。

朝鮮人の良い人に照準を合わせると、良い人は少なく、悪い人が大部分です。「良い朝鮮人もいるだろう」と言われたら、僕でも「そうですね」と言います。全ての朝鮮人が悪いのではありませんが、良い人は少数なのです。

大部分の朝鮮人は悪いのです。その判断を間違えてはいけません。「朝鮮人全ては悪くはない。良い人もいるでしょう」その通りです。でも、良い人は非常に少ないのです。例えば、拓殖大学の呉 善花(オ・ソンファ)教授がいますが、日本人に帰化して「朝鮮人は本当にヒドイ」と言っている朝鮮人は良い人です。

大学教授でも「日本は悪くない」という人もいます。朝鮮人でも「日帝時代は本当によかった。あんな良い時代はない」と言っている人もいます。そこへ朝鮮人の若者が来て、ぶっ殺してしまうのです。朝鮮人でも良い人はいるのです。どんな社会でも良い人はいますが、韓国は悪い人が大部分です。社会を見た場合、悪い人が多いのだから、「あれは悪国だ」と言ってよいのです。

洪 思翊(ホンサイク)のような帝国陸軍中将もいます。名前も朝鮮名です。朴 正煕も帝国陸軍中尉ですから、良い朝鮮人もいるのです。でも、良い朝鮮人は少数です。少数で全体を量ることはできません。「朝鮮人というものは」と言ったら、大部分の朝鮮人のことを言うのです。少数派の変わった人はこちらにも、あちらにもいます。

朝鮮人の中では、ものすごく反日的な奴もいれば、もの凄く親日的な人もいます。この中にいる大部分の人間は悪い人間です。ハッキリしないといけません。親日の人間が何人いるのでしょうか? しかも、朝鮮人は親日派の人間を捕まえて、罰金を取って財産を没収してしまうのです。

韓国では、「親日だ」とは言えないのです。「日本は良い国だ」と言ったとたんに捕まってしまうのです。これを見ても韓国は悪い国です。

どうしてもこの問題がわからないらしいのです。ある創価学会のオバチャンとも話したのですが、「朝鮮人が悪いのはわかったけれども、良い朝鮮人もいるでしょう。」そのような発想をするのです。

すると判断の基準がなくなってしまうのです。「朝鮮人は」と言うと、「良い朝鮮人のことを言っているの? 悪い朝鮮人のことを言っているの?」と言うのです。そうではありません。「朝鮮人」「日本人」というのは、抽象名詞(abstract nounsと言うのです。

「朝鮮人」というものは、何処にもいないのです。そこにいるのは、「文」や「金」という朝鮮人がいるのです。それがいいか悪いかという論争ですが、「それは個別の論争でしょう」と言うのです。

では、「朝鮮人」というものがあるのか、ないのかというと、あるのです。本当は、「日本人」などという人間などいません。個別の「日本人の山田花子さん」はいるのです。日本人は何処を探してもいないのです。

そのような言い方はできないのかというと、そんなことはありません。抽象名詞として「朝鮮人というものはこうです」と言えるのです。これは右も左も取り除いた、真中の朝鮮人全体のことを言っているのです。

当然、朝鮮人一般には当てはまらない人もいますが、それは少数です。「全体で見た場合、朝鮮人はこのような人です」と言えるのです。「日本人というものは、勤勉です」ということが述べられるのです。

そのような言い方をすると、「民族差別だ!」と言うのです。これは差別ではありません。差別とは、「朝鮮人だとわかったら、給料は半分だ」とうことです。これは差別です。「ここは日本人だけの居住区だから朝鮮人は住んではいけない」と言ったら差別です。

それから、「朝鮮人は余分に税金を払うように」と言ったら差別です。区別は全然違います。区別は区別するわけですから、差別はしません。「貴方は朝鮮人ですね」というのは、区別です。差別でもなければ何でもありません。

「何故、朝鮮人だとわかったのですか?」「貴方の表札に朴と書いてありますから、朝鮮人だとわかりました」これは区別です。「朝鮮人はお米の一等米を食べてはいけない」と言ったら差別です。そんなことは言っていません。そのように差別と区別の違いをわかることは非常に大事ですから、間違えないようにしていきましょう。

 

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