※武田信玄24将 ※信玄公祭り出陣ルート
4月7日に山梨県に行ってきました。ちょうど、「信玄公祭り」の日だったのです。武田信玄には、24将という武将(武田左馬助信繁、武田刑部少輔信廉、穴山玄蕃頭信君、板垣駿河守信方、甘利備前守虎泰、馬場美濃守信春、飯部兵部少輔虎昌、山県三郎兵衛尉昌景、高坂弾正忠昌信、真田弾正忠幸隆、内藤修理亮昌豊、秋山伯耆守信友、三枝勘解由左衛門尉守友、原美濃守虎胤、小山田左兵衛尉信茂、多田淡路守満頼、真田源太左衛門尉信綱、土屋右衛門尉昌次、横田備中守高松、小幡山城守虎盛、曾根下野守昌世、原隼人佑昌胤、真田安房守昌幸、山本勘介晴幸)がいて、それぞれの一族が勝ちどきをあげて、俳優は渡辺謙の息子の渡辺大が信玄公役です。
鶴舞城公園で「えい・えい・おー!」と勝ちどきをあげて、出陣して練り歩く祭りです。
面白いのはスポンサーがついていることです。会社ごとで武田24将の一族をつくっているのです。渡辺大扮する信玄公が勝ちどきをあげて出陣が始まるのです。僕は「今日は信玄公祭りがある」という話を聞いただけで、見ることはできなかったのですが、盛大なお祭りだったらしいのです。今度は是非、見に行ってみたいと思います。
そこで感じることがありました。昔の戦争とは一体何だったのでしょう。みんな気が付いていないことがあります。昔の戦争、あれはお祭りです。「戦争とは、残酷なもの」という見方もありますが、お祭りだったのです。
それはちょうど、山梨県で思いだした歌があります。「甲斐の山々 陽日に映えて われ出陣に 憂いなし」(武田節)という歌があります。これを思い出してわかったのです。「ああそうか、出陣に憂いはないのだな」とわかったのです。みんな喜んで戦争に行ったのです。
「戦争だ!」「お祭りだ!」そのような感覚です。「やってやるぜ!」ということで、「えい、えい、おー!」という勝ちどきをあげるのです。それは恐怖に震えているのではありません。お祭りで神輿を担ぐのに出陣するような感覚です。「ワッセ・ワッセ・ワッセ!」と神輿を担いで行くようなものなのです。
昔の、戦争はお祭りだったのに違いありません。自分は死ぬかもしれません。殿様のために人柱となって死ぬのです。勝てば相手の領地がもらえるのです。相手をぶっ殺したら、その領地は自分がもらえるのです。勝てば領地が増えて、負ければ自分が死ぬのです。お祭りだから、死んでもよいのです。
そのような興奮状態で戦争をやれば、槍がささっても痛くないのだと思います。お祭りで酒を飲んで酩酊していて、「うりゃあああーーー!」と、突撃していくのです。ヤクザの出入りも同じです。「野郎ども!」と玄関に樽酒を用意して、バーンと叩き割って、ししゃくで酒を飲んで「うりゅあああーーー!」と抗争に出かけるのです。喧嘩はお祭りです。だから、そう悲観したものではないのです。
中国の水滸伝の映画にありましたが、ドラが鳴ると、何万人も人が集まります。大将が出てきて「ウォーーー!」と変な中国語をしゃべるのです。「これから出陣だ!」と叫ぶと大将の前に味方の兵隊が一人います。見せしめにその兵隊の首を刎ねるのです。すると血が噴き出して、首が飛ぶと「ワァーーーー!」という歓声が兵隊からあがるのです。首を刎ねるということが興奮剤です。
指導者は、「如何にリズムをとって兵隊を戦争に向けていくのか」ということをやっているのです。ドラや太鼓の音が大事です。ブオーーーとほら貝を鳴らすと怖さを忘れてしまうのです。
秦の始皇帝の軍楽隊はすごいのです。何千人もそろって砂漠の中で筒の太鼓をもっていて、「タンタカタッタ、タンタカタン・・・」と太鼓を鳴らすと黒雲のように砂漠一面に軍楽隊が現れて、敵方に近寄っていくのです。
最初に武器を持った奴が攻めてくるのではありません。始皇帝の軍楽隊が迫ってくるのです。それはもうお祭りです。「ハッハー、上手いことを考えたな」と思いました。これが武将の才覚です。そのようなことをやると兵隊の気分が高揚します。
気分が高揚すれば矢がささろうと、刀で斬られようと、あんまり痛くありません。興奮状態で死ねれば最高です。一番いけないのは病気で死ぬことです。三島由紀夫は「あちこち管でつながれて、鼻からも口からもチューブでつながれて、全身動けなくなった状態で死ぬのは、まっぴら御免だよ」と言っています。
「刀で斬り合って、興奮状態で命を落とすのが一番よいのではないか」という考えです。そのように戦争もとらえれば、神風特攻隊で泣いた人は一人もいません。みんなうれしくて「明日はいくぜ、やってやるぜ!」と思っているのです。命を懸けたお祭りです。「行けー! 一番機が突っ込んだ。よし、俺も行くぜ!」という感じでやるから、怖くないのです。
特攻機の中で「お母ちゃん!」などと言う奴は一人もいません。自ら志願して行ったのですから、「一番大きなところへぶつかってやるぜ!」と思って行ったのです。それを上手に利用すると戦争に強くなるのです。
我々日本人が昔から戦争に強いと言われてきたのは、そのようなことです。戦争は村をあげてのお祭りです。天皇陛下をお祭りの先端に担いで、「よっしゃ!」と行ったので、村ごとでお祝いしたのです。
村人が「勝ってくるぞと勇ましく~♪」と歌うと、出陣の兵隊さんは「行ってまいります!」と敬礼して行ったのです。何も怖くなどありません。戦争はお祭りです。
たまにはよいけれど、年がら年中お祭りをやっていたら「馬鹿だ」と言われます。戦争は、ガス抜きでもあります。文明は行き詰ってくるから、どこかでぶつかって、ガス抜きをしていくという作用が戦争の中にはあります。未来の戦争は人間などいりません。ドローンや、ロボット兵士が活躍するようになるのです。戦争はお祭りです。このように考えてもよいのではないかと思います。
お読みいただきありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。
応援よろしくお願いします!
↓↓↓
『中杉 弘のブログ』2006年より、好評連載中です!
↓↓↓
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137