旅烏(たびがらす) | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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さて、休日は皆さんも旅人となってあちこちに行っていることと思います。「旅烏(たびがらす)」という曲があります。作詞藤田まさと、作曲遠藤実です。実によい曲です。旅人というものの風情が出ているので是非、聞いてもらいたいと思います。五木ひろしが歌ってヒットした歌を森山愛子ちゃんが最近歌っています。

 このような股旅姿は日本人にはジーンとくるものがあり、カッコイイのです。実際はカッコよくありません。三度笠は破れて、廻し合羽はつぎはぎだらけです。そんな感じで薄汚れているのです。実際は木枯し紋二郎のような感じです。木枯し紋二郎には、一切飾りはありません。

 この中で任侠(にんきょう)について考えてみたいと思います。断っておきますが、僕は任侠の世界に全く興味もなく関係のない人間です。「任侠とは何か?」とヤクザ者に聞くと、質のいいヤクザは「侠客(きょうかく)だ」というのです。

 侠客(きょうかく)とは、任侠(にんきょう)に生きる人のことをいいます。侠客の目的は「強気をくじき、弱気を助ける」ということが、基本的な生き方のテーマです。何のことを言っているのかというと、「強気をくじき」とは国家権力のことなのです。

 我々にとって国家権力ほど恐ろしいものはありません。国家権力は問答無用で豚箱に入れます。裁判も全て自分の都合のよいようにやるのです。裁判の中には全く道理というものはありません。僕も経験していますが、全く道理はありません。道理が無いということは、言い分を全く聞きません。僕の発言するチャンスは全くありませんでした。発言する機会が与えられないので、判決が降りてくるのですからたまりません。

 両方の言い分を聞くのは当たり前ですが、言い分は一方通行です。もちろん、国家相手の裁判です。

 任侠とは、国家権力に対する反逆です。国家権力をくじくから、「強気をくじき」となるのです。「弱気を助ける」というのは、「国家権力から苛められている人を守る」ということです。

 江戸時代で言うと、赤城の子守歌の国定忠治は侠客と言えます。農民が日照りでお米が獲れません。国定忠治は代官所に乗り込んでいったのです。代官所は権力です。代官所を襲い、農民にご飯を食べさせたのです。

 「強気」の代官所をやっつけて、「弱気」の農民に食べ物を配るのです。これが任侠の徒です。途中で清水次郎長もそうです。最初はどうしようもない暴れ者で、鼻つまみ者です。これが明治になってから辞世がガラリと変わると、山岡鉄舟など偉い人間と接触するうちにすごいことをやるのです。清水次郎長は学が全くありませんでした。

 官軍に攻められて幕府の役人が船の間で沈んで死体がプカプカと浮いています。それを「官軍も幕府もあるものか、死んだら仏だ。皆で葬ってやれ」と言って、死体を海から上げてお墓をつくってあげたのです。

 それから、お茶畑をつくり開墾をしたのです。子分たちにもお茶畑の開墾をやらせたのです。徳川幕府の侍が職がなくなって静岡にやって来るのです。開墾して皆に飯を食べさせたのです。清水次郎長は良いことをたくさんやっていて、英語の塾もつくったのです。清水次郎長も一種の侠客です。

 それが本来のヤクザのやることです。「強気をくじき、弱気を助ける」というのです。権力で苦しんでいる人々を、自分の一身を持って助けるのです。これをやるならば、侠客です。

 大塩平八路は侍ですが、侠客だと言えます。そのようなことが大事です。もっと言えば、大石内蔵助の忠臣蔵も侠客です。理不尽なことで浅野内匠頭だけが罰せられて、吉良上野介は罰せられません。これに怒って吉良邸に乗り込んだのですから、侠客です。「侠に生きる」とは、そのようなことです。

今はそんなヤクザはいやしません。自分の利益のために人殺しをするのです。「いくらになるのか?」と人殺しの相談をしているヤクザは、侠客ではありません。今は真の侠客を見ることはできません。昔はこのような侠客がいたのです。その歌が「旅烏」です。

 侠客は権力者をやっつけたので、逃げなければいけません。権力者から逃げている姿が旅人さんの廻し合羽に三度笠という姿です。悪いことをやっている奴をぶった切ったのですから、そこにはおれません。すると有名になるのです。「あれは、侠客の●●さんだ」と有名になるのです。旅人さんが訪ねてきたら、親分は厚くもてなしてご飯を食べてもらい、少しの小遣いを持ってもらうのです。旅人さんはそれを頼りに生きているのです。

 旅人を「三年半やっています」とは、そのようなことで、或は七年半逃げて、親分のところを周っているのです。その親分も侠です。人情を持って助けるのですから、親分も侠客と言えるのです。

 「どうぞ、ゆっくりしていってくんなさい」と言ってお金を持たせてあげたりするのです。これも侠の精神です。「強気をくじき、弱気を助ける」です。

 旅行するとは、本当はそのような意味があります。旅行中にこの歌を聞いてごらんなさい。森山愛子も歌っていますが、五木ひろしの歌が一番いいと思います。画像としては森山愛子のほうがよいので出します。

 まだこの写真も欠点があります。まず、刀が大きすぎます。女の場合はもうちょっと細身の刀で短い刀を出さないとダメです。それから、草鞋に足袋をはいています。女に足袋をはかせないほうがいいのです。このようなところに配慮が抜けています。女がこんな踊りをやる場合は脚絆(きゃはん)を巻いているのだから、素足のほうがカッコイイのです。地下足袋(じかたび)のような足袋は見苦しいと僕は思います。着物ももっと派手な着物を着てもよいと思います。

もうちょっと渡世人の仁義を書いておくと、まず渡世人は親分さんのところへ行き、自己報告をします。「自分は何処の生まれで、何をやって今旅をしています」ということを述べるのです。

すると親分が出てきて「どうぞ、おあがりなさってください」と言って、中に入れます。その時に旅人さんは自分の罪状も述べるのです。すると「ご苦労さんですね」と言われえて、まぬかれた客は客人用の部屋があります。そこに入れられます。するとご飯は必ず一膳一菜です。「どうぞ、たっぷりおあがりなさい」と言われても、「一杯で結構でござんす」と言って茶碗を置くのです。

夜の食事も一膳飯です。一膳以上は食べません。ちょっとエネルギーが足りませんが、昔のどんぶりだから、どんぶりで一膳食べれば大丈夫です。

いよいよ、お休みになるわけですが、「親分さん、おやすみなさい」と挨拶してから寝るのですが、着物は着たままです。寝間着に着替えるなどとんでもありません。贅沢はできませんから、着の身着のままです。後ろの帯をクルッと前にします。それで長ドスを置いて寝るのです。このような仕組みになっているのです。

一応、それなりの人情があって、姉さんが夜中に見回りにくるのです。姉さんの姿が見えると旅人さんは「おやすみなさい」と言うらしいのです。市川雷蔵の「ひとり狼」という映画がありますが、その状況は詳しく出てきますので、興味のある人は見たらよいと思います。

言えることは、「現代に侠客なし」です。暴力団と侠客は違います。「強気をくじき、弱気を助ける」これを侠客といいます。

 

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