謹賀新年 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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謹賀新年

 あけましておめでとうございます。

今年こそは日本にとってふさわしい年になりますようにお祈り申し上げます。

国際情勢は混沌としていて先行き不透明です。

消費税の拡大、アメリカの利上げ、戦乱の火種がちらほらしていて、あまり明るいニュースがないように思います。

しかし、その時にこそ我々が描くグランドデザインを考えておかなければいけません。

どのような未来を描いているのだろうか?

アベノミクスはグランドデザインなのでしょうか?

全然違います。

アベノミクスは小手先の業です。

グランドデザインとは、「世界の中で日本国がどのように国になって世界に貢献していくのか?」ということです。

これが本当のグランドデザインです。

安倍さんは目先のことばかりでグランドデザインなどもっていません。

世界各国に行きお金をあげれば日本にイメージはよくなりますが、そんなことではないのです。

日本がつくらなければいけないグランドデザインは、世界の「天皇の世紀」とすることなのです。

これを忘れてはいけません。

今年は「天皇の世紀」の第一歩の年にしなくてはなりません。

何故ならば、「天皇は神聖にして侵すべからず」です。

このことを国民にしっかりと教えていかなければいけません。

憲法など関係ありません。

我々が考えていることは、「天皇は神聖にして侵すべからず」ということが大事です。

人間の大事なことは、神聖な部分を持つということです。

神聖の部分がなくなると人間は滅びてしまいます。

これは、創価学会の例で見てみるとわかります。

創価学会の初期の頃は、日蓮正宗創価学会であった。

これは神聖だったのです。

絶対にふれることができない大御本尊は信者以外には見せません。

猊下は代々法水写瓶といい、「器は変わっても、日蓮大聖人様の教えは変わらない」としてきたのです。

これが神聖なものだったのです。

戸田先生は「本山と猊下について口出ししてはならない。

何故ならば、我らは信者である。

信者が本山の人事とか、お金を何に使っているなど、くだらないことを言ってはならないと言ったのです。

それは信者の立場を超えている。

本山は神聖なものなのだ」と言われたのです。

創価学会は神聖なものをもっていたのです。

ところが、池田大作が朝鮮人であるが故に、その神聖さを認めないのです。

「女郎買いの猊下」、「ニセ坊主」など、言いたいことを言って、神聖なものを自ら消してしまったのです。

最初は「御本尊は神聖だけれども、本山の坊主が悪い」と言っていたのですが、教義を変更して、「我々は大石寺の本尊を本尊としない」と言ってしまったのです。

もうこの段階で創価学会は神聖なものを失ってしまったのです。

それと同時に池田大作を「会長先生は絶対だ。会長先生は神聖だ」と言い、神聖なものに移し替えたのです。

池田大作がひっくり返ってしまうと、誰が神聖なのでしょう。

誰もいません。

隣にいた副会長が会長になっても、どこにも神聖なものはありません。

創価学会は神聖なものがあった故に大きくなったのですが、自ら本山を否定して、会長を頼りにすると、会長もひっくり返り、神聖なものがどこにもないのです。

神聖なものを大事にしていかないと駄目なのです。

日本国もそうなのです。

「天皇は神聖にして侵すべからず」

皇室の悪口を書いたりしている馬鹿がいます。

雅子さまのスキャンダルを言ったり、くだらないことを言う馬鹿がいますが、我々にとって天皇は神聖なものであるから、ふれてはいけないのです。

神聖なものを否定するようなことをしたり、「あれは朝鮮人だよ」と言ったりしていくと、日本人は神聖なものを失ってしまうのです。

「天皇は神聖にして侵すべからず」ですから、触ってはいけないのです。

だから神聖なものなのです。

人間は常に神聖なものがないと落ち着かないのです。

満足しないのです。

西洋諸国では、キリスト教があり、ローマ法王がいて、ローマ法王は政治にたずさわらないけれども、神聖なものの象徴です。

アメリカ大統領も宣誓するときには、必ず聖書に手を置いて、「神に誓います」と言うのです。

神とはアメリカ人にとっても、ヨーロッパ人にとっても神聖なものなのです。

政治は神聖ではないので変わってもよいのです。

変わらざるもの、神聖なもの、これはローマ法王であり、キリストの教えです。

日本にとっての神聖なものは、キリスト教ではありません。

日本にとって神聖なものは天皇です。

天皇は2800年続いてきたのです。

天皇が神聖であるおかげで、国民はみなそう思ってしまうのです。

天皇は神聖なものである。

さわってはいけないのです。

どんなに政治的に優れた大名でも天皇には手をつけられなかったのです。

やった人間は滅びてしまいました。

「天皇は神聖にして侵すべからず」

このことを我々はしっかりと覚えておかなければいけません。

これを侵してしまうと自らを否定することになります。

天皇の悪口は言うな!

皇室のくだらない詮索をするな!

変なスキャンダルを出したりするものではありません。

これを守っていけば、日本人はますます栄えて世界の中心になっていくでしょう。

外国人は戦略があるから、「天皇は神聖ではない。日王だ。日本の王様だ」という解釈をしていますが、天皇であってもらうと困るのです。

姜尚中はなんとしても天皇でないものにしようとして「日王」と言うのです。

韓国人にとってはそうかもしれませんが、我々日本人にとって、「天皇は神聖にして侵すべからず」です。

これをしっかりと認識して新しい国造りの決意を固める年だと思います。

正理会は神聖なものを二つ持ちます。

国の申請さを天皇におき、仏教の神聖さを南無妙法蓮華経におきます。

神聖なものがなくなれば人間は獣(じゅう)と同じです。

大いに神聖さを栄えさせていかなければなりません。

弥栄です。

今年は弥栄の年にしましょう!