日本人の心と日本刀 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。



日本刀は日本人の魂である。日本人の魂とは一体何かというと、清潔・正直・明朗・道理・幽玄を含むものです。これが日本精神です。


 日本人はいろいろなものを文化として生み出してきましたが、その最たるものが日本刀であると僕は思います。

 この日本刀について知ると、日本文化のもっている特質というものがすべて入っているとうことがわかります。絶対にこの日本刀は真似することができません。普通、刃物というものは相手を殺すものであり、それ以外の何物でもありません。

 朝鮮では刀を鞘(さや)に入れません。そのままポンと放っておくので、刀が錆びてしまうのです。「戦争だ」というと、その錆びた刀を担いでいくのです。鞘に入れて持つということはしないのです。中国も同じです。青龍刀は大きすぎて鞘がないのです。

 日本で最も汚い言い方は「ドス」です。ヤクザは、「ポン刀」、「ドス」、「長ドス」など、このような言い方をします。これは最低な言い方で、日本文化など全く理解などしていません。「ドス」とは、「脅す」という意味です。ヤクザにとって刀は脅すための道具なのです。だから僕は大嫌いなのです。

 日本刀は道具ではありません。日本刀は精神であり、魂です。日本刀を所持するということは、「人を殺す」という考えでは持てないのです。日本刀を所持するということは、日本精神を大事にするということです。これほど美しいものはありません。形・材質・デザイン、どれをとってみてもこれより優れたものはありません。

 日本刀は鉄を何度も鍛錬して造っていくのが日本刀です。出来上がったときには、ものすごく美しいものなのです。

 波紋はなくてもよいのですが、芸術性を表します。破門により芸術の価値が高まります。研ぎ方、どれをみても素晴らしいのです。日本刀を一本持つということは、日本人として当然のことです。

 「日本刀をもって日本精神を磨く」と考えたほうがよいのです。三島由紀夫の益荒男(ますらお)がたばさむ太刀の鞘鳴(さやな)りに幾とせ耐へて今日初霜という辞世の句がありますが、刀が走りたがるのです。たばさむ太刀の鞘鳴(さやな)りに、ものすごく実感がこもっています。三島由紀夫は「クソッ、この腐敗した日本をぶった切ってやる!」、何度か「ぶった切ってやる!」という気持ちがおきたのに違いないのです。それを鞘鳴(さやな)りというのです。

 「何年も何年も耐えてきたのです。そして、今日初めてこの刀の効果を見る日がきたのだ。」ということです。そのようなものが日本刀にはあるのです。

 だから日本刀は道具ではありません。人殺しの道具ではないのです。魂なのです。昭和の戦争の中頃に軍刀がサーベルから太刀型に変わるのです。軍刀とは太刀の姿をしたもののことをいうのです。もちろん、中身は日本刀です。

 大日本帝国軍人が何百万人といたので、軍刀の量が足りなくなって満州刀、或は工場で造られたものが出回ったのですが、今はこれらの物はありません。これは日本刀として所持しようと思っても許可にならないのです。今あるものは日本刀であると思ってよいと思います。

 男は日本刀を持つのです。日本刀を持って耐えるのです。我慢がならないことが多いけれども耐えるのです。日本刀は忍耐の賜物でもあるのです。抜いたら終わりですから、抜かないのです。

 魂は人に見せないのです。「貴方のお刀の中身はどうなっていますか」と聞かれても、簡単に見せないのです。武士の魂は簡単に見せられるものではないのです。一家に一本日本刀を所持することが、日本人に勇気と希望と力を想像以上に与えるのです。

神風特攻隊もみな日本刀を持って特攻したのです。飛行機に乗るのに日本刀などいらないと思いますが、短い軍刀を握りしめて敵艦に突貫していったのです。日本刀のおかげなのです。

 戦国時代からそうで、日本刀は戦争ではあまり役に立たないのです。役立ったのは、長い槍、なぎなたなどが主流になり、実際には日本刀を抜いて戦うことはないのです。ではなぜもっていたのかというと武士の象徴です。良い刀を持つと力が湧いてくるのです。

 ですからみな良い刀を持ちたがったのです。一本千両する刀もあるのです。正宗は千両です。いや、千両でも手に入りません。

 なぜかというと一人の刀工が一本つくるのに三ヶ月かかります。一年に三本です。十年つくっても三十本です。百本つくるのに一生が終わってしまいます。日本刀は出回らないのです。江戸時代は大名家が三百諸侯です。大名が「一人一本欲しい」と言えば、それだけで三百本になってしまいます。

 良い物は手に入りません。新撰組も京都に行くときに、まず求めた物は刀です。近藤勇は長曽根虎徹(ながそねこてつ)、土方歳三は和泉守兼定、60両や100両出して買ったのです。

 戦争のときには良い刀は家においていったのです。もっていく刀は数打物(かずうちもの)です。刀は消耗品ではありません。お宝様です。正宗など戦場にもっていったら大変なことですから、もっていかないのです。お宝様は大事にしまい込んで戦場に行ったのです。

 刀には、数打物(かずうちもの)があり、戦争に備えて大量につくったのです。誰のものかというと大名の物なのです。蔵にバサッとしまってあり、戦争になると足軽や雑兵が出てきます。その連中は百姓あがりなので刀のない奴もいるのです。

 蔵の中から刀を出して、「これを持て」と言って持たせたのです。これを数打物というのです。ほとんど美術鑑賞にならない刀です。今はそんな刀は残っていません。

 日本刀は日本人の魂である。日本人の魂とは一体何かというと、清潔・正直・明朗・道理・幽玄を含むものです。これが日本精神です。幽や玄などという精神は諸外国にはありません。日本独自の精神です。

 俳句も和歌もそうですが、幽と玄がわからないと日本精神はわかりません。これをもっともよく体現しているのは、よい日本刀です。日本刀を持つことにより、これらの日本精神が自分の中に蘇ってくるのです。

どこの国の誰かさんみたいに汚いことはしない、ドロボウ・かっぱらい・ウソはつかないのです。



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