文学の本質 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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文学とは何でしょう。僕が高校時代に散々考えたテーマです。「文学とは面白い話なのか」「文学とは心理を追究したものなのか」「文学とは芸術なのか」、文学に対する考え方はいろいろあります。文学者とはよく分からないのです。
 文学者の中には、大衆文学もあれば、純文学というジャンルもあります。色々なジャンルがあって、フィクションの位置づけがよく分からないのです。司馬遼太郎も最初は歴史小説を書いていましたが、行き詰ってしまい遂に最終的なライフワークは『街道をゆく』です。『街道をゆく』は、北海道から沖縄まで日本全国を歩いて、しまいにはオランダまで行ってしまい、10年以上続く連載ものです。
 彼は新聞記者だったので、『街道をゆく』という随筆の方が、楽だったのです。歴史小説では、ウソをつきまくって書くので大変です。随筆の場合は、「過去にこのような事があった」と追っていけば全国の紀行文ができてしまいますから、楽なのです。
 そのような色々なテーマの中で、本当の純文学があります。これがテーマでなければいけません。大衆文学にしても、純文学にしてもテーマがあります。だいたいが「愛」の問題です。「愛」というものによって「人間がどのように考え生きるのか」ということです。『アリサとロジェーム』などは、「愛」がテーマです。
 それから、「友情」「国家」「革命」、そのような様々なテーマがあります。日本で一番多い純文学と称するものテーマは、恋愛です。川端康成の「トンネルを抜けるとそこは雪国だった。」そこに駒子という女がいて、そこから物語は始まるのです。
 テーマは「愛」なのです。「愛」というテーマの中でも、「純愛」「性愛」など、色々なジャンルがあります。作家が「この道を究めるのだ」と言って、テーマを追及していくのです。谷崎純一郎の変な女性愛やマゾヒズムスなどとは違うのです。
 三島由紀夫は、様々な小説を書いていますが、そのような文学者とは本質的に違いがあります。テーマの取り方に違いがあるのです。三島由紀夫のライフワークは、「輪廻転生(りんねてんせい)」です。輪廻転生をテーマにした文学者などいやしません。
 三島由紀夫は、非常に仏教に対して詳しいのです。色々な仏教を勉強してよく知っています。最後に書かれた『豊饒の海』四部作は、群を抜いた質の高い小説です。『豊饒の海』は、四部作になっていますが、主人公は全て違う人物です。
 しかし、輪廻しているのです。皆、同じ人間です。小説に出てくる主人公も時代背景も全て違います。だけど、四部作とも輪廻しているのです。そのような面白いレベルの高い小説です。それはちょっと普通の人には書けません。
 「魂の存在はあるのか、ないのか?」という大テーマなのです。「人間の死後はどのようになっていくのか?」「魂というものは輪廻転生するのか、しないのか?」という大テーマです。これは、本物の文学者でなければできないことです。普通、恋愛などゴミみたいなものです。そんな事を一生涯忘れないでネタにして、小説を書いているなんてゴミです。
 輪廻転生は人間にとっての大問題です。その大問題に真っ向から取り組んだのが、三島由紀夫です。だから、これは一般世間の人は理解できません。恋愛とか、サドマゾとかに興味があるのですから、全然レベルが違うのですから理解できないのです。
 西洋人がそのことをどこまで理解できたのかというと、分からないのです。まず、理解できないでしょう。三島由紀夫は、恋愛について書いた本もたくさんあります。そのようなものは理解できるのです。
 西洋人が注目したことは「非常に理性の高い作家がいる。あらゆる現象面を分析している」とみたのです。「これは、このような心理である。例えば、女の中には徹底的な浮気願望がある」というのです。これは、三島由紀夫が見ている話です。どんな女でも浮気願望の無い女はいないのです。これも女を見抜いた一つの真理なのです。
 そのようなところに、西洋人は引かれて「しゃれたことを言っているな」と思ったのです。それがよく表れているのが、『不道徳教育講座』です。その中に、サドマゾの問題点や、色々な問題点が書かれているのです。自虐的な性質や、聖セバスチャンの呪いとか、ちょっと難しい面もありますが、社会面において人間の深層で何を考えているかということからえぐり出しているのです。それが西洋人には理解しやすいというのですが、三島由紀夫のテーマはそんなものではないのです。
 こんな小説は飯を食うために書いている話であり、本当のテーマは「輪廻転生を明らかにしたい」ということです。アインシュタインの統一場理論と同じで「出来たのか?」「出来なかったのか?」ということは、小説を読まないと分かりません。
 おそらく小説を読んでも分かりません。本当の名作は、結論を書いていないのです。投げ出すだけなのです。「このような問題があります。この問題の解決はご自分でおやりになってください」ということです。
 小説家は哲学者ではないので、懇切丁寧に答えることはしないのです。「貴方の人生には、こんなに大きな空洞が空いていますよ。それを貴方はどのように考えますか?」という問題提起で終わらせるのです。
 「輪廻転生」これは、我々に与えられている問題提起です。「死後はどうなるのか?」読むと壮大なスケールで広がってしまい、「人生にはこんな大きな穴があるのか」と思ってしまうのです。それが、本当の文学です。そのことは、西洋人には理解できなかったのです。
そのテーマに対して川端康成の「愛」は、話になりません。川端康成は、後からそのことに気が付いて、「三島由紀夫こそノーベル賞をもらうべきだった。このゴミのような自分がノーベル賞をもらうなど」と、恥じたのです。ゴミみたいな恋愛物語を書いて、三島先生に対して恥じたのです。だから、「死んでノーベル賞をお返しする」という意味で、川端康成の自殺は文学的な意味であったのに違いないのです。これが僕の見方です。





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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5




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