中国の食人史と朝鮮の起源 | 中杉 弘の徒然日記

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ここへきて色々な先生から学ばせていただきました。まず、最初に学んだのは、東洋史の宮脇淳子先生です。それから、水間政憲さんの韓国史です。それから、台湾人の黄文雄さんからは、なぜ食べ続けてきたのか!? 「食人文化」で読み解く中国人の正体を学ばせてもらいました。最新の遺伝子研究でエベンキ人の研究をやったのは、長浜浩明先生です。

 何故、書いておくのかというと、これらの先生から勉強させてもらったからです。この先生方のユーチューブや本などを勉強してもらいたいと思います。

 リチャード・コシミズさんは中国人の悪口を言いませんが、是非読んでもらいたいですね。この中から学んだ事を述べるならば、「中国には歴史はなかった」ということなのです。驚くべきことであり、歴史がないのです。

 中国に真に巨大な帝国ができたのは、秦の始皇帝の時代です。今から2200年前です。これをもって、「チャイナ」と言っているのです。シナの事を「チャイナ」というのは、秦の始皇帝の事を言っているのです。

 始皇帝時代には、6つの国(楚・斉・燕・趙・魏・韓が争っていたのです。その6つの国を征服して王朝を統一したのです。秦の始皇帝はユダヤ人であり、中国人ではないのです。その前には春秋戦国時代があり、その前は三国時代(周・殷・夏)です。

 この周・殷・夏も小さな国であり、統一王朝ではないのです。秦の始皇帝が天下を統一して、その後にシナ人の国が出てくるのが隋・唐ですが統一した期間は短く、宮脇淳子先生によると、「シナ人による統一された国はない」のです。その後は、元が統一したのです。元帝国とは、モンゴル人が造った国です。モンゴル人が中国を統一して北京にいたのであり、本来ならばシナではなくモンゴルです。「大モンゴル帝国」です。中国に都を置いただけであり、そこにシナ人が大勢いたのではありません。モンゴル人がいたのです。

 その後、漢民族が出てきて明を建国しますが、その後は満州族のヌルハチが万里の長城を超えて北京に来たのです。これが明治まで続いた清王朝です。清王朝は満州族がつくったのです。元帝国はモンゴル人がつくったのです。

 張 献忠(ちょう けんちゅう)は、明末の農民反乱軍の指導者で、黄色い顔色をして虎のような人相で黄虎(こうこ)と呼ばれた将軍です。彼の軍勢は連戦連勝です。四川地方に入ると重慶を破り、成都で大西皇帝を称し、大順に改元して成都を西京としまた。『明會要』巻五十によれば、1578年に人口3102073人だった四川は、嘉慶『四川道志』巻十七によれば、1685年には人口18090人に減少したと言います。
 張 献忠(ちょう けんちゅう)は、一日たりとも人を殺さなかった日はなかったのです。少なからず、子供が食われ、婦女の纏足(てんそく)が収集されたのです。
昔、中国では女性に纏足(てんそく)を履かせて足を小さくしたのです。その纏足を収集して、紐につるして「でんぽう」と名付けたのです。四川地方で殺害された人間は男子60万人、女子40万人の100万人にのぼりました。殺した人間は全て食べてしまったのです。ですから、戦争に行く場合、食料はいらないのです。人間を食べてしまうのです。ひどい歴史です。

 シナ人は、軍隊に食肉用の人間を連れていくのです。驚くべきことで、日本人の感覚とは全然違うのです。兵隊は人間の干し肉をつくり、リュックに入れたのです。籠城して城を囲んでやっつけてしまうと、城にいる人間は栄養失調になってしまいます。栄養失調の人間を食べても美味くないので、持っていった人間の肉を食べたのです。中国人は共食いです。人間が食料ですから、兵隊は食料はいらないのです。

 シナ軍に食われる兵隊もいたのです。驚くべき事実です。こんな国とは、国交など回復してはいけないのです。基本的には国交などできないのです。

 シナ人に「国家」という概念がないのです。シナ人に「国家」という概念ができたのは、今から102年前の中華民国です。初めて国家的な概念ができたのです。中華人民共和国は、たかだか65年しか経っていません。日本人は「日本人と同じような民族がいて、その国を造ってきた」と考えますが、全然違う民族です。そのような事を学びました。

 長浜浩明さんから学んだ事は「朝鮮人などいなかった」ということです。日韓併合前に汚らしい乞食のような朝鮮人の写真がたくさん出てきますが、あんなのはまだいいほうなのです。

 はっきりと分かっていることは、朝鮮人はエベンキ人という濊族(わいぞく)なのです。朝鮮史の概略をおさらいしておくと、朝鮮をつくったのは倭人です。倭人が北九州から南朝鮮半島まで一大勢力を持っていたのです。青森と函館が同じ文化圏であるのと同じように、九州から海を渡った大陸にも倭人が大勢住んでいたのです。その証拠に、朝鮮半島では石器時代がないのです。いくら掘っても何も出てこないのです。

 そして、いきなり5千年くらい前の地層から縄文土器が出てくるのです。「朝鮮半島から縄文土器が出てくるのか!」と思いますが、そうなのです。縄文土器は倭人が作ったのです。倭人が縄文土器を作って米の栽培をしていたのです。朝鮮半島には、朝鮮人はいなくて、倭人の国だったのです。

 『三国史記』という朝鮮の正史に、「新羅の王朝も、百済の王朝も倭人が作った」と書いてあるのです。「えー?」と思いますが、それを韓国では韓国人に絶対に見せないのです。ちゃんと「倭人がつくった」と書いてあるのです。

 ですから、朝鮮半島にあったのは、倭人の国だったのです。そこに前方後円墳が70基も発見されているのです。韓国人は前方後円墳が出ると、都合が悪いので壊してしまうのです。それでも、70基発見されたのです。

 すると、よく分かってきます。だいたい3~5世紀に前方後円墳が造られて、その頃、朝鮮半島には倭人がいて統治していたのです。

 そこに、気候変動で寒くなると北から騎馬民族が朝鮮半島に入ってきたのです。その略奪が凄いのです。奴らは野蛮人ですから、若い女以外は皆殺しです。

 そこで、倭人は「朝鮮半島の経営は辞めた。日本に帰ろう」と、帰ってきたのが西武線高麗駅の高麗寂光(こまじゃっこう)です。それが日本に帰ってきて天皇から王の称号をもらったのです。それで、「高麗王寂光(こまおうじゃつこう)」になったのです。そのように考えれば、分かるのです。

 薩摩の島津の先祖は、「新羅三郎義光」と言っています。新羅は、朝鮮人が造ったのではなりません。倭人がつくった国であるから、「新羅三郎義光」というのです。

 山口県にいた大内家も「百済の国の第三皇子の子孫」と言っています。朝鮮人かと思ったら違うのです。倭人だったのです。それから、 河勝(はたの かわかつ)の秦一族も倭人です。

 日本に帰れない朝鮮半島に取り残された女と、北方の蛮族やエベンキ人が混血したのです。その混血した奴らが、お互いに近親相姦をしたのです。それから出来上がったのが朝鮮人です。倭人の女が強姦されて、できた子供が近親相姦を繰り返して、できたのが今の朝鮮人です。遺伝子の構造から言うと、そうなるのです。

 「ああ、なるほど。分かったぞ!」朝鮮などという国はなかったのです。これをきちっと覚えておかないといけません。

 我々が「朝鮮」と言うのは、李成桂がつくった「李氏朝鮮」が、今居る朝鮮人の元祖です。日韓併合前の写真に写っているのは、李氏朝鮮です。李氏朝鮮とは、高麗王を殺して、李成桂が国をのっとったのです。元々裏切者なのです。

 高麗の王様を殺して自分が大王になって、明の王様のところへ出かけて行って「私が王になります。名前をくれませんか?」とオベンチャラを言って、「朝鮮」という名前をもらったのです。その李氏朝鮮は518年続くのです。

 韓国はたっぷり518年間、近親相姦してきた国です。近親相姦は韓国のお家芸です。李氏朝鮮は、絶対に字を教えなかったのです。領民が利口になってもらっては困るのです。字を教えない、苗字もない、支配階級の両班が10%で、後の90%は奴隷・平民・常民です。

 道路も無い、橋も無い、ひどい連中です。このような連中が朝鮮半島を支配してきて、明治まで続くのです。

 既婚の女性はおっぱいを丸出しにして歩くのです。お風呂は入らないので髪の毛は、しらみまるけで、衛生観念が全くないのが朝鮮人です。

 そのような歴史を見た時に、朝鮮人は日韓併合してもらい日本人にどれだけお世話になったのでしょうか。小学校を1万校つくり、大学・医学専門学校まで作ってもらい、朝鮮全土で行われていた拷問を禁止して、法律をつくり、近代化は全て日本人がやったことなのです。その日本人に足を向けて寝てもらっては困ります。

そのような事を勉強させてもらい、まだまだ深めていきたいと思います。




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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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