霊山
仲宗根です
霊山町はモチロン現存していますし、霊山連峰も未だ岸壁のように聳えています。
しかしあの崖っぷちに立った家はもうありません。
おじさんはズーッと前に亡くなり、町に移り住み、その後に大叔母もなくなってしまいました。
たぶん今は、曾孫の代になっていると思います。
崖っぷちの家にはあれから後一度も行っていません。
私がスッカリ大人になってから、祖父が「ヨシの旦那も亡くなったし、ウチで引き取ったらどうか?」と話すのを聞いて、私は???。
立派な息子がいるのに何故?と思いました
その後、大叔母の家族と話したようで、大叔母は今まで通り、息子夫婦と生活する事に落ち着きました。
あの時私に、夢で見てた様な遠い記憶が蘇ってきました。
本当に小さい、4、5歳の頃に見た記憶です
自宅の広い座敷に若いヨシおばさんが着物来て座り、横には男の人がいます
僅かの招待客が酒を酌み交わしていて、ヨシおばさんの白い造花を付けた頭は小刻みに震えています。
どうやら祝言の様子
ヨシおばさんは、頸椎に障害があって、頭が常にカクカクと小刻みに震えるのです。
そんな事があって長くお嫁に行かず実家で過ごしていました。
両親も亡くなり、長兄(私の祖父)が心配し、4人の子供を残し妻を亡くした男の後妻として嫁に出したのです。
だから夫を亡くすと、産さぬ息子の世話になるのが気詰まりでは、と妹可愛さで祖父は考えたようです
ヨシおばさんは、静かに余生を送り、義理の子供たちに看取られ亡くなった、と聞きました。
遊びに行ったあの崖っぷちの家で、息子に小言を言うわけでもなく、娘に手伝いを言いつけるわけでもなく、全ておじさんが仕切り、ご飯の用意と野良仕事をし、いつも静かに笑っていたヨシおばさん。
穏やかな家庭に見えたのは、家族同志の気兼ねからか。
私へのお姉さんたちの優しさは義母への気遣いからか
ヨシおばさんは幸せだったのだろうか。
まだ若かった私はヨシおばさんが不憫に思えました。
しかし、と今思う。
義理や気遣いがあるなら、私を招き、泊まらせるだろうか
嫁ぐ前、私の子守をしてくれたという。
私に幸せな姿を、また義理の子供たちの優しさ見せたかったのでは。
あの赤銅色の笑顔と「目えねえどこさいぐなよー」と掛けてくれた、おじさん声はホンモノ!
そうだそうだ!きっとそうだ!
ヨシおばさんは本当に幸せだったのだ。
ヨシおばさんの幸薄い笑顔ばかりが心残りの霊山でしたが、この度霊山を訪れ、幸せだったと思えた事でシコリが消えました。
今その麓の小さい町の介護施設に、少しずつ記憶を失いつつある母が静かに過ごしています。
あれから訪ねる事のなかった霊山、母の残された時間いっぱい通うことになるだろう
取り合えず、今から仕事をしに韓国ソウルに行って来ます
羽田国際空港から仲宗根でした。