◆ 表現力と読解力について、そして過剰なプライドは孤独を生むという話。 | スマイルノート♪/なかしまたかおベイベー☆

◆ 表現力と読解力について、そして過剰なプライドは孤独を生むという話。

ヤフーニュースより転載。
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※ソース元⇒https://news.yahoo.co.jp/profile/comments/375cf3ed-7c6c-4a79-8226-1f8d2aaffe18(削除されてる可能性大!)


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最近、切に思うことがある。
読解力や表現に対する意識って、人によって本当に差があるなということ。

この銭湯云々のテーマとは全く無関係なことなんですが、注目して欲しいのはコメント欄の部分。
ワタシの元コメに対して異を唱えた方がいて、それを受けてコチラが改めて意図を解説する・・・という流れがここにあります。

たまにあるんですよね、これ。
ヤフコメに限らず、実生活でも。
二度手間。。。

自分はやっぱり、真実をありのままに表現することが万事を正しい方向に向かわせる有効な手段だと思っています。
なので、表現方法や言葉のチョイスなんかはめっちゃ考える。

ここまでの文章だってそう。
いろんな単語が頭に飛び交う中で「どれが自分の思いを正しく表現できる言葉なんだろう?」っていう思いの元、一個一個 最適解を導き出しながら書き綴っています。

なので一言一句の意味を正しく読み解いて受け取って欲しいと思っています。
別に詩的でわかりづらい言い回しなんてしてないわけだから、本来難しくはないはず。
国語の授業でみんな習ったことよ。

だのにやっぱり、こういう人間に出くわすことがある。
言葉の意味を説明する作業、マジめんどいわ。

そういう人たちの特徴として感じるのは、自分自身の思想や嗜好に反する意見を前にすると「ムカつく」「同意できない」が先に立ってしまい、相手の意見を正しく読み解くという作業をすっ飛ばしてしまうということ。
「何とか反論してやろう」という発想が最初にあり、曲解や誤解を無意識且つ積極的にやってしまう。
一種の病気なのだろうとも思うわけです。



自分は人と会話をするときに、内心そういった部分を品定めしていたりします。
「あー、この人 読解力に乏しいな」とか「言葉や表現に対する意識が低いな」とか。

もちろん逆もあります。
「わー、めっちゃ表現気にしてるやん。ステキ」なんて思わされる人も大勢います。

先日 音楽界隈のメンツを集めて上野公園で花見をしたんですが、参加したメンバーは皆“酒に飲まれる系”のどーしようもない面々でね。自分も含めて(笑)
気の置けない大好きな友人たちで。

彼らととりとめのない会話をしてるときに ベーシストの佐藤陽亮が流れで他人の噂話をしていて「あー、この表現はちょっと語弊があるな。えーっと・・・」って言い回しを改めてたのよ。
その場では何も言わなかったけど、オレは内心めっちゃ感動した。
今ここに居る人の話ではないにもかかわらず、「この表現だとその人に失礼になってしまうから」とか「今ここで、その表現で“確定”してしまったら周囲に誤解を生んでしまう恐れがある」っていう配慮が、彼の言動から明らかに感じられて「うぁーいいなー!」「好きだなー!」って思った。
こういうのは本当に素晴らしいと思うし、本来はみんなそうあるべきなんだと思うんです。

自分が人を“好き・嫌い”と判別する材料としては、意外とそういう些細なところが大きかったりする。
悪意を含んだ嘘や誇張で他人を嘲笑うようなタイプの人間は大嫌いだ。



自分はあまり人を嫌いになることがないのだけれど、「こいつはもうダメだ。つける薬がない」という人が、生涯で3人います。
偶然なのか必然なのか その3人ともがそういったタイプで、表現が非常に軽はずみ。
だからか“孤独”という問題に直面してもいる。

一人は見るからに、あからさまに孤独。
もう末期で、誰も寄り付かない。
もうこのまま 本当の最期をむかえるしかなくて、我々身内も見守るしかない。
残りの二人は、一見 周りに人はいるけれど、本人が「孤独だ」と公言してる。
彼らはこの春、大切にすべき人間を“また”、そして“自ら”失った。

嗚呼・・・いま気が付いた。
3人ともクソほどプライドが高いな。
オレの人生で出会った“プライドの高い人ベスト3”がそっくりそのまま この3人だ。
超利己主義者とも言えるかな。

彼らが顕著であるが故、学ばされることも多い。
反面教師ってヤツですね。
彼らの失敗や良くない部分を見て学んで、その選択肢を密かに排除しながら自分自身の成功の確率を上げてここまで生きてきた。
そういった意味ではとても感謝すべき人たちなのかも知れないな。
学びをありがとう。



少々話がそれました。
そう・・・週刊誌の発信や表現によって人の人生が変わったり、社会や文化さえも変わってしまうこの時代。
そういった大きな影響を与えてしまうような事柄に関しては特に「表現の仕方に気をつけようよ」と思うわけです。

読解についてもそう。
「曲解や誤解をせずにきちんと意図を読み解こうよ」「確証も無い情報を鵜呑みにするなんてのは言語道断」なんて思います。

情報過多な時代だからこそ、その情報をどう発信するか・どう受け取るか…というセンスが求められるなーと、切に思う今日この頃。
賢明愚昧。