本日は、これまでのお話を、少し整理させて頂きたいと思います。
現在、妻と僕と息子・家族3人 編
をお話しており、既に12話目になりました。
名古屋での 夫婦水入らずの生活。
そして、読者の皆様からのご質問にお答えする形で、番外編として、香港での妻との出会いの場面をお話してきました。
これらは、僕達夫婦が仲睦まじく過ごしていた時期のお話です。
その一方で、
すでにお伝えしたとおり、僕達夫婦は2019年に離婚に至っていますので、僕が、なぜこのような、元妻への未練とも思われかねない話をするのか、疑問を持たれている読者の方がいらっしゃるかもしれません。
とても重要なことですので、このことについてご説明したいと思います。
僕は、”現在は現在。過去は過去。” であると考えています。つまり、現在離婚に至っているからといって、”幸せな家族が破壊されたという過去の事実”は変化しないのです。
出会いから結婚・妊娠、そして夫婦での渡英・出産に至るまで、僕たち夫婦は、とても幸せに生活をしていました。特に息子を授かった時などは、愛する妻と2人で、本当に喜びました。
そして、ミツカンや義父母による僕の家族への無慈悲な行為によって、家族が離れ離れになってしまうまで、僕達家族は英国で、様々な破壊行為に耐えながら、協力して生活を続けてきました。
この事実を皆様にお伝えしたいと思っております。
そして何よりも、将来の息子に、両親が愛し合って、本当に喜ばれて生まれてきのだという事実を、伝えたいです。
僕は現在、息子と、いわば生き別れの状態になっています。
どこの国にいるのか、どれほど大きくなったのか、何に喜んで、何に悲しんでいるのか、そのことすら分かりません。
スポーツが好きな僕は、息子と一緒に走り回る夢を、これまで何度見てきたことか、数え切れません。
僕はミツカン側の代理人(1-19←リンクに出てくる、人権侵害を助言していた例の顧問弁護士です)に、息子へのビデオメッセージを送ったのでこれを息子に見せてほしいと、何度も懇願してきましたが、一切返答はなく、拒絶されています。
さらに、息子の安否の問い合わせすら、半年以上も返信がありません。
ミツカン側による無慈悲な行いは、これが初めてではなく、すでにお伝えしたとおり、僕は、当時1歳だった息子と引き離され、2年間で2時間しか会えなくなりました。そして、話すことはおろか、息子の写真の提供すら拒絶されました。
そして、ようやく息子と会えた時、息子は、僕が父親であると認識できなくなっていました。そして、僕のことを、悲しそうな顔で、”おじさん”と呼びました…
あれほど笑顔で、僕になついてくれた息子が、
僕のことを認識できなくなったのだと知った時、
僕は言葉に出来ないほど悲しかったです。
涙が止まりませんでした…
僕にはもはや、このブログによって、将来の息子に、真実を伝えるしか、手段が残されていないのです。
それでは、
明日から、また、妻と僕と息子・家族3人 編のお話に戻らせて頂きます。
このブログは、読者の皆様の応援があってこそ継続出来ております。
心より感謝しております。
引き続き、応援よろしくお願い申し上げます