微妙な内容ではありますが、

ご質問を頂きましたので、

この機会に、

 

 

当時の私達夫婦が、

どのように生活費をやりくりしていたのか

お話したいと思いますキラキラ

 

 

僕たち夫婦は、

ミツカンの一般職である 僕の収入の範囲内で、

家計をやりくりしましたウインク

 

 

妻はミツカンの役員でしたが、

中埜家の方針により、

給与口座やその他の口座には一切手を付けられない仕組みになっていました。

 

 

そんなこともあり、僕たちが、名古屋で、夫婦水入らずの生活をしていた頃は、

自分で言うのも変ですが、

派手なことは一切なく、

堅実そのものであったと思います。

 

 

妻と私は、

物への執着があまりないという点で、

価値観は似ていました。

 

 

生活必需品を除いて、

2人で買い物にでかけた記憶は、

ほとんどありません。

 

 

一度、愛する妻が、

僕の誕生日に革の手袋をプレゼントしてくれたことがありましたが照れ

愛用していましたキラキラ

 

 

また、

僕たち夫婦の、

平日の夕食もごく普通でした。

 

 

出張続きであった僕の生活が落ち着いて、

名古屋の自宅に戻れるようになった頃には、

週末に夫婦でスーパーへ行き、

一週間分の食材を買い込みました

にんじん きのこ りんご

 

 

 

そして、平日の仕事の後には、

どんなに遅くなっても、

2人揃って 自宅で夕飯を食べましたナイフとフォーク

 

 

先に帰宅したほうが

夕飯を作って待っている

という具合です。

 

 

一方が遅くなったとしても

必ず待って、

2人で夕食を食べました。

 

 

この習慣は、

僕たちが英国に行ってからも

変わりませんでしたニコニコ

 

 

味気のない、

おにぎりとスープと野菜サラダ

という微妙なものでしたが…

 

 

一時期は、

妻の分も含めて、

僕が昼のお弁当を作っていたこともあったり。

 

 

ともかく、

 

 

僕たち夫婦で考えた末の、

きっとお腹の赤ちゃんに良いだろう爆  笑

という考えからくるもので、

 

 

健康そうな食材を使って

自炊をするという生活でした。