当時の幸せな思い出は、

今でもよく覚えています。

 

 

妻と2人で

ランチのパスタを

食べていた時でした。

 

 

妻が 急に居住まいを正して、

改まった様子で

僕に言いました。

 

 

実は…

赤ちゃんができたかもしれない

 

 

えっ、本当に  ビックリマークビックリマークビックリマーク

 

 

僕たちはとても喜びました爆  笑

 

 

特に、

妻は 満面の笑顔で

喜んでくれましたキラキラ

 

 

僕の子どもを宿してくれたうえに、

こんなにも喜んでくれたことに、

妻への愛情が一層増しましたおねがい

 

 

そして、

僕たちは、

 

 

どんな赤ちゃんかなあ

 

どっちに似てるかなあ

 

 

などと、

早くも 我が子との未来を

楽しく語り合っていました照れ

 

 

後日、

僕たちは お医者さんへ行き、

本当に赤ちゃんを授かったのかどうか 確認をしました。

 

 

このとき、妻は 妊娠8週〜10週だったと思います。

 

 

妻は、期待外れにさせてしまったら困るから… 

ということで、

確認が取れるまで 義理の両親には伝えずにいたようです。

 

 

お医者さんで、確認が取れた帰りに、

メールで 義父に伝えたときの反応が、

 

 

男か? 女か? 

 

 

という内容であったことに、

妻が苦笑いをしていました。

 

 

僕も、実の両親に、

赤ちゃんのことを伝えたら、

本当に喜んでくれました。

 

 

不思議なもので、

赤ちゃんは、ファミリー全体が一体感を感じられる、

無条件の幸せを与えてくれる存在なのですね。

 

 

僕は無事に子供が生まれたら、

僕を育ててくれた、実の両親に、

真っ先に会わせたい、と思いました。

 

 

そして同時に、

無条件の愛情を 僕に注いでくれたことへの 

感謝の念が さらに深まりました。

 

 

とても残念なことに、実際には、

実の両親に 孫の顔を早く見せてあげたいという、

僕の願いは叶えられず、

息子との初対面が実現できたのは、実に、息子が3歳半になってからでした…

これについては、また違うお話でお伝えしたいと思います。

 

 

 

妻の妊娠が分かった時期は、

僕たちが結婚してから 

半年以上が過ぎた頃でしたが、

 

 

実はこの時には、すでに、

僕たちは、“夫婦水入らず” で

名古屋に住んでいましたニコニコ

 

 

すでに お話したように、

結婚当初は、愛知県の半田(はんだ)市で

義理の両親同居をしていましたが、

 

 

 

当時の僕は、

一般職としてミツカンに入社してから

全国の工場や営業拠点を回っていて、

 

 

平日のほとんどは、

出張先での ビジネスホテル暮らし であったため、

妻には一切会えず、

 

 

僕たちは、

お互いに

寂しい思いをしていましたキョロキョロ

 

 

週末だけは

同居中の 妻の実家に

帰りましたが、

 

 

妻は 

もっと新婚生活を味わいたいと

気にしてくれていたのか、

 

 

名古屋の社宅へ

引っ越す判断を

してくれたのでしたキラキラ