ここまで読んでくださった読者の皆様
本当にありがとうございました
このブログは 皆様からの応援を頂ければこそ 継続できております。
改めまして心より感謝します
直近の3回の記事は、このブログの目的に直結するお話で、どうしてもはっきりとお伝えしたかった内容でしたので、堅苦しい言い回しが多くて失礼いたしました。
さて
読者の方から次のような趣旨のご質問をいただきました。
どうもありがとうございました
<ご質問内容>
ロンドンから大阪へ飛ばされたとしても、息子さんと一緒に日本へ行けばよかったのではないですか?
大変鋭いご質問であると思います。
確かに、ミツカンが僕に対して日本への異動を命じたとしても、僕と妻と息子の3人、あるいは僕と息子の2人で一緒に日本に帰国するという選択肢があったように見えるかもしれません。それに、僕と妻の関係がしっかりしていれば、どこへ飛ばされようと息子と引き離されるような最悪の状態は回避できますね。
これについて、ご説明いたします。
まず、
最初の前提として、
中埜家は、僕と妻の結婚前から、ロンドンに自宅を購入しており、事業承継等を含めた家の事情により、英国での跡継ぎの出産、子育てを予定していました。この場での説明はあまり適切ではないので詳細は省略いたしますが、妻は出産後も、中埜家の事情により、英国から日本に帰国する予定はありませんでした。事実、息子は生まれてから現在まで、ずっと英国に居住しています。つまり、義理の両親からすれば、僕を英国以外に飛ばすことは、単身赴任を意味していたということです。義父が、僕に対して、“片道切符”で配転させると発言したことにはこのような背景があったのです。
次の前提は、妻は当時、ミツカンの専務であり英国で業務を行なっていたということです(現在も専務です。)。つまり、ミツカンは僕と妻の夫婦双方の人事権を持った状態で、僕だけを日本へ異動させたのです。妻にしてみれば、ミツカンを辞めない限り日本へ帰国するという選択肢はなく、それは同時に、両親の意向に背くことになるため、中埜家を出ることを意味していました。
そして、
ここからがポイントですが、
上記の前提があったうえで、義理の両親は、別居・離婚が上手くできないのならば、最愛の息子と離れて暮らすことになると 妻に伝えました。中埜家のためには夫である僕を放り出すべきで、その際に息子がボトルネックになるのならば息子ごと放り出すよう、妻に指示をしたのです。そして、家と会社を継ぎたいのであれば多少の血を流す覚悟が必要だと、妻に圧力をかけました。
端的に言えば、
「僕」or 「息子+中埜家+ミツカン」
のどちらを取るのかを迫ったのです。
この結果、
義理の両親の圧力から逃れられないと判断した妻は、僕に「偽装別居」を提案しました。
表面上は義理の両親に従っているように見せかけて、裏で隠れて家族3人の交流を続けたいと提案したのです。
確かに、一般的な単身赴任とは異なると知っていただくためには、このあたりの背景のお話も重要ですので、次回以降でお話しできればと思います。
極めて複雑な背景があるため、僕自身も、読者の皆様にちゃんと意図が伝わっているのか心配になってくることがあります。また、一生懸命に書かせていただいているものの、拙い文章力であるため、なかなか思うように行かないという もどかしさもあります。
このような状況ですので、
上記のようなご質問をいただくことは大変有り難いことであると思っております。
最後に、
これまでは僕の顔写真ばかり貼っていましたので
今回は少し変化をつけて、
風景の写真を添付したします
タイトルは「崖っぷちの青空」です。
偶然に十字になった ひこうき雲が 素敵です。
どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。
中埜大輔