2018年12月:癌発覚

2019年10月に他界

短いようで長い闘病生活の日々について。。。

 

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妻が旅立つ前日の事。

 

いつものように登校前に朝の挨拶で

 

息子と病室へ。

この時は、まだ苦しいながらも会話ができてます。

 

息子にとっては、最後の母親の生の言葉・・・・

 

何か、様子が違う・・と感じたのか、緊張した様子・・

 

病室には、こんな物が飾ってある

笑顔で温泉に入っている、息子の写真と行く気で取った

長渕剛さんのコンサートチケット → これ見て頑張れ!の意味で。。

 


あと、1か月後の日程でした。。。

 

他にもNPOメンバーからの励ましや家族写真などが

そこら中に溢れてました。。。。

 

そして、午前中に大阪の義兄(兄者)も来て、私と2人で

ドクターの話を聞く。

 

おそらく、ここ数日が山だろうと・・・・

 

しかしながら、なんとかまだ会話ができていたので、、、

 

まさか、翌日が、その日になるとは、思っていなかった・・

 

午後は、この時期、毎日、来てくれていたガーコ夫妻も

 

面会に。。

このあと、夕方になり、とうとう会話ができなくなりました。

 

しかし、最後まで鎮静剤のリクエストはしませんでした。。。

 

会話はできなくても、耳は聞こえています。というドクターの

 

お話で、長渕さんの桜島オールナイトコンサートのライブDVDを

 

エンドレスでかけた状態で、後ろ髪引かれつつ、、

 

息子の受け入れのため、帰宅しました。

 

緩和ケアに移ってから、24時間、携帯電話の音に

 

ビクビクして生活してましたが、その緊張がMAXだった夜。です。

 

 

 

妻が癌になり私たち家族に起きた、あれこれを書きました。

 

 

 

 その結果、テレビ取材を受けました。