2018年12月:癌発覚
2019年10月に他界
短いようで長い闘病生活の日々について。。。
*************************
妻が旅立つ前日の事。
いつものように登校前に朝の挨拶で
息子と病室へ。
この時は、まだ苦しいながらも会話ができてます。
息子にとっては、最後の母親の生の言葉・・・・
何か、様子が違う・・と感じたのか、緊張した様子・・
病室には、こんな物が飾ってある
笑顔で温泉に入っている、息子の写真と行く気で取った
長渕剛さんのコンサートチケット → これ見て頑張れ!の意味で。。
あと、1か月後の日程でした。。。
他にもNPOメンバーからの励ましや家族写真などが
そこら中に溢れてました。。。。
そして、午前中に大阪の義兄(兄者)も来て、私と2人で
ドクターの話を聞く。
おそらく、ここ数日が山だろうと・・・・
しかしながら、なんとかまだ会話ができていたので、、、
まさか、翌日が、その日になるとは、思っていなかった・・
午後は、この時期、毎日、来てくれていたガーコ夫妻も
面会に。。
このあと、夕方になり、とうとう会話ができなくなりました。
しかし、最後まで鎮静剤のリクエストはしませんでした。。。
会話はできなくても、耳は聞こえています。というドクターの
お話で、長渕さんの桜島オールナイトコンサートのライブDVDを
エンドレスでかけた状態で、後ろ髪引かれつつ、、
息子の受け入れのため、帰宅しました。
緩和ケアに移ってから、24時間、携帯電話の音に
ビクビクして生活してましたが、その緊張がMAXだった夜。です。
妻が癌になり私たち家族に起きた、あれこれを書きました。
その結果、テレビ取材を受けました。