2018年12月、妻に癌が見つかり

長く短い闘病生活が始まりました。

癌発覚と同時に妻は毎日、日記を

書いてました。

闘病中の妻の思いをノートの記述を

通して紹介したいと思います。

(基本、原文のままです。一部、省略した部分もあります)

ちなみに、私がこのノートを読んだのは、妻が旅立った日の夜。一晩中、寝ないで妻の隣で読みふけりました・・・

本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本

 

平成最後のお正月かぁ~。

来年のお正月は私はこの世に存在しているのだろうか?

まさか、こんなこと考える日が、こんなに早く来るとは・・・

癌の患者さんは、みんなそう考えるのかな?

 

自分がそういう立場になって本当の心理が理解できる。

多分、私の今までの癌患者さんの心理は想像だったり本の知識だったり

したんだろうなぁ~。

 

1月1日から採血があった。すごいナ~、やっぱ総合病院というのは、

どんな日、どんな時でも対応できるようにしてるんだナ~。

熱が出たとき、胆管の管を代えてくれる時も夜中にも関わらず、

内視鏡スタッフ、ドクター数名集合し・・・本当にありがたい対応だった。

 

それにしても、また腫瘍がでかくなってきてるのかな?

自分の中で肝臓の存在を感じる。そして、体動時、なんとなく引きつる

ような弱い痛み。

 

癌性疼痛はもっともっと痛いんだろうナ~。

 

AM、ひろしくん、お義母さん、光一、夫が面会でくる。

光一は相変わらず、お茶の機会が好きになり、お茶を汲んではガブガブ

飲んでいる。そして、今日は私に抱き着いたり、チューしたり、

今までの甘えがすご~く出ている感じだった。

 

ひろしくんとお義母さんは、御殿場のお墓参りを夫と光一と共にして

横浜へ帰る。

夫も光一も2人が来てくれて、どんなに助かったかと思う。母不在の分、

光一も家に来てくれて一緒にご飯食べてくれる存在があってうれしかった

だろう。

 

そういえば元旦から街〇先生、来てくれて「本日の採血の結果良かったんで

ごはん上げてきますね」って。

私の癒し系ドクターだから、来てもらえることは、ありがたいし嬉しいこと

だけど、休みあるのかな~?なんて心配してしまう。

まあ、私が人のこと心配してる場合じゃないし。

 

 

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(解説)

・来年のお正月は私はこの世に存在しているのだろうか?:

 残念ながら同年10月17日に他界した。面会時「寝坊してしまい、

 もしかしたら最後の初日の出かもしれないのに、見逃した!」言っていた。

 

・今日は私に抱き着いたり、チューしたり、今までの甘えが

 すご~く出ている感じだった。:

 大晦日~元旦にかけて、私の母と弟が来てくれていたので、息子は 

 嬉しくてだいぶん、テンション高めだった。その勢いで思いっきり

 母親にあまえたのかもしれない。

 

・夫も光一も2人が来てくれて、どんなに助かったかと思う。:

 正直、妻の余命が年単位でなく月単位だろうという雰囲気の中で、

 不安でしょうがなく、年越しできるか怖かったので2人に来てもらい

 元旦に弟の車で一緒に御殿場まで行き、父の墓参りした後、新幹線で

 私と息子は愛知に戻った。