2018年12月、妻に癌が見つかり
長く短い闘病生活が始まりました。
癌発覚と同時に妻は毎日、日記を
書いてました。
闘病中の妻の思いをノートの記述を
通して紹介したいと思います。
(基本、原文のままです。一部、省略した部分もあります)
ちなみに、私がこのノートを読んだのは、妻が旅立った日の夜。一晩中、寝ないで妻の隣で読みふけりました・・・
3連休も明け、今日はよく晴れている。早いもので入院してなんやかんやで15日目かぁ~。
今日は朝、採血とそしてギネ受診。出血は昨日の朝以降止まった。よくわからん!
光一も冬休みに入り3連休はお父さんお休みにしてくれたけど、今日から28日までは
仕事。また、放デイ→日中一時 での生活に。落ち着いて過ごして欲しい。
時々、病院に来て・・泣く。
昨夜もそうだった。でも、「家に今日はクリスマスケーキあるヨ」と言ったら泣き止みニコニコして帰っていった。
家から持ってきたタブレット、充電不可でダメだと思っていたら夫が充電いけると
持ってきてくれた。
肝癌について色々と情報集める。やはり私の状況はかなり厳しい。
余命5年未満の可能性はかなり高い。
治療としては抗癌剤の選択になるんだろうナ。いわゆる点滴からか・・・
肝動脈から直接か・・・
まあ今後、まだ身体が動けるうち、頭がクリアなうちに光一のこと家のこと、
自分の終末期の場所など状況見ながら情報集めて選択していくしかないナ。
お昼ちょっと前に突然、大部屋へと移動。どこもこういうことは突然で一緒。
しょうがない。まあ、入院がこのままにせよ退院にせよ、年末年始は家で
過ごした方が良いだろう。光一のためにも。
なのであと4日くらいかな?
朝、街〇先生来て28日19:00ムンテラ決定。これで生検の結果、年末年始の
ことも決まってくるだろう。また、年始4日頃にでも再度、病院へ
という感じかな?
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(解説)
・「家にクリスマスケーキあるヨ」と言ったらニコニコして帰っていった。:
このころまでは、妻は個室だったので自閉の息子を連れて行っても他の
患者さんに気兼ねしなくて済んでた。ただ、行くと時々は泣き、ベッドに
もぐりこんだり、妻の手を引き、一緒に帰ろう とせがんだりをしていた。
この時は、父子だけの初クリスマス。
・余命5年未満の可能性はかなり高い。:まだ、この時期確定診断が出ておらず
余命がそんなに短いとは思っていない時期。息子の小学卒業くらいまでは
生きられるだろう・・・とは思っていた。妻も私も・・・。
・年末年始は家で過ごした方が良いだろう。光一のためにも。:結局、この後
年末年始の帰宅は叶わず。病院で過ごすこととなる。。。。