2018年12月、妻に癌が見つかり

長く短い闘病生活が始まりました。

癌発覚と同時に妻は毎日、日記を

書いてました。

闘病中の妻の思いをノートの記述を

通して紹介したいと思います。

(基本、原文のままです。一部、省略した部分もあります)

ちなみに、私がこのノートを読んだのは、妻が旅立った日の夜。一晩中、寝ないで妻の隣で読みふけりました・・・

本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本

 

本日は15:30頃より造影エコー予定。確定診断するために肝生検を行うため、

その説明が先生からある予定。

 

しかし、時間18:00か20:00と言われても・・・・

まず、光一の段取り、夫の仕事の調整と、朝からメールで連絡しまくり

結局、夫が早帰りして・・・光一がまだ、放デイ~日中一時にいる時間帯

18:00にしようと決めた。

こういう時、本当に福祉サービス頼み。助かる。

 

まあ、病院というところは治療経過の上・・前もってということが

できにくいからしょうがないけど・・・

光一の段取りと私の状況次第で、いつも綱渡り状態。。。

 

日勤ナースによるとエコーの他、造影MRIも予定に入ったらしい。

 

検温に看護学生さんがついてきて背中を拭いてくれた。

初々し~私もあんな頃あったなぁ~。

 

10:00頃、NPOギフトの西川さん、加藤さん来院。

いつもの感じの2人。ホッとする仲間。乳がんになった自閉症を持つ

ママの本を持ってきてくれた。うれしい、ありがたい。

今後の参考にしよう。

 

11:00頃、兄者と姪と3人で来院。

姪2人、27歳と25歳、大きくなったな~、そりゃ~年取るはずだ。

末の甥は同志社大学だって~。

兄者、一応、笑顔で例の手を私の方にかざして神頼み。

心配かけてるナ~。

 

18:00~F先生、街〇先生、夫、私でムンテラを行う。

肝腫瘍がかなりでかくて肝臓をすべて切除しないと無理。

全摘は生きられない!

肝生検をして確定診断し抗がん剤の方向へ。

あと、今、入っているステントは短期のものなので、金属ステントに

入れ替えるとの説明。

 

厳しい現実だけど・・・それより明後日の肝生検の時間が気になる。

光一の引継ぎの時間に間に合うか?肝生検の時間は明日にならないと

わからんし、病状は確かにきびしく、自分が想定していたより、

また余命が思ったより短くなった気がする。

 

でも、この場で余命を聞く勇気はなかった。

 

とりあえず、万が一、光一の引継ぎに間に合わないといけないので

西川さんにヘルプを頼む。OKだった安心。

 

 

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(解説)

・時間18:00か20:00と言われても:息子が放デイと日中一時から帰宅するのが

 19:00前後で微妙な時間。一緒に先生の説明を聴くのも微妙だし、何回か

 このような局面があった。

 

・乳がんになった自閉症を持つママの本を持ってきてくれた:

 ぶどう社刊「幸せはわたしの中にそしてあなたの中に」⤵

 妻が読後に「読む?」と言って渡してくれたが、とても読む気になれず。読んだの 
 は妻が他界してからでした。

 

肝腫瘍がかなりでかくて肝臓をすべて切除しないと無理。全摘は生きられない!:

 それまでは、なんとか手術で切除できるだろう。と思う(思い込もうとしてた?)

 が、この瞬間に奈落の底に落とされたような感覚になる。妻を見ると微動だに

 しない感じでこわばっているように見えた。

 この後、何も考えられずふわふわした感じで帰宅したと思う。

 妻はこの日、どういう精神状態で寝たのだろう?

 

・余命を聞く勇気はなかった:当時の光景が蘇る。。。。