2018年12月、妻に癌が見つかり

長く短い闘病生活が始まりました。

癌発覚と同時に妻は毎日、日記を

書いてました。

闘病中の妻の思いをノートの記述を

通して紹介したいと思います。

(基本、原文のままです。一部、省略した部分もあります)

ちなみに、私がこのノートを読んだのは、妻が旅立った日の夜。一晩中、寝ないで妻の隣で読みふけりました・・・

本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本本

 

早いもので、もう入院生活も7日目かあ~。

朝の採血では順調に黄疸の数値も膵炎数値も下がっている

ビリルビン値、アミラーゼ等)らしい。

 

DIVの本数も徐々に減らしていく、食事も検討・・・と

街〇先生や飛〇先生は言ってくれた。

 

お昼前、福〇先生やってきて採血の結果は同じように改善方向へ。

また、外科Drに相談すると。これで2回目の相談らしい。

なんでも外科の先生はオペで取り切れるか?みたいな話も出ているらしい。

とりあえず癌の確定診断をしたいと・・・

 

肝生検の予定はいってくるのかなぁ?

 

「とりきれるか?」の言葉、気になるなナ~

 

オペできなくて癌確実なら抗癌剤かあ・・・・ふう~体力おちるナ~

 

福〇先生は「年末年始は帰りたい?」と気にしてくれたけど、

家に帰って今まで通りのことができるかと、ちと不安だナ~。

 

少し歩いても大腿部筋力低下を感じる。

光一のすばしっこさに追いつくかなぁ~?

 

オペ出来ないとなると、かなり厳しいよナぁ~

 

色々な整理のスパンがぐっと短くなる。

 

もう、しかし色々わからない先のこと考えてもしょうがない。

目の前のこと受け入れやっていくしかない。

 

夜8:30 街〇先生登場!

造影MRI+腹エコーするらしい。色々な資料集めってとこかな?

そして・・・年末、肝生検・・・ステント入れて、いったん退院という

形かな?

 

横浜のお母さん帰る!

光一は少し淋しくなったのか?病院へ来て色々と服を脱ぎだして

着替えを探している(パジャマ?)

私とここへ泊まろうとしている感じ。

声を何度かかけ、渋々ズボンを履き、靴を履き、お父さんとうちに帰る。

「お母さんを助けてください」の言葉、結構この人わかってて

言うことをきいてくれる。エライゾ!

 

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(解説)

・ビリルビン値:肝臓の機能を示す数値の一つ

 

・アミラーゼ:膵臓や睡液腺から分泌される糖類を分解する消化酵素。

 おもに膵臓に異常があると値が上昇

 

・DIV:点滴静脈注射 

 

・横浜のお母さん帰る:13日からヘルプで来てくれていた母が帰宅。

 さすがに年齢も年齢なので慣れない土地、家で過ごすのも負担なので

 帰宅してもらう。息子はまた、父子家庭状態に戻り寂しい感じだった。