(息子)
自閉症スペクトラム
療育手帳A判定
現在、特別支援学校 中学2年
発語はなく、言葉でのコミュニケーションは難
だが、言われていることは、ほぼ理解できてます。
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おはようございます。
今日は、妻の癌が発覚する直前の話です。
2018年の10月のある週末のこと。
妻の卒業した看護学校の同期会が湯河原温泉でありました。
(この同期会、一年おきに幹事が持ち回りで各地で開催してます)
この時は湯河原ということで、家族で車で行き、途中
御殿場の私の家の墓参りをしました。
(まだ息子が幼い感じですね~。この前年に父が他界して墓に収まったばかりでした
まさか、この翌年に妻が他界するとは、、この時は夢にも思いませんでした。)
墓参り後、湯河原で妻を下ろしてから私と息子は横浜の実家に
行き宿泊。
息子は実家の犬の散歩などして満喫!
泊まった翌日は早朝に出発して箱根の金時山に登りました。
富士山がきれいでした。
そのあとは富士山の5合目までドライブして雪遊びなどして
下道をのんびりと愛知まで帰りました。
途中、浜松で夕食を採り、帰宅は21:00頃でした。
帰宅すると、すでに妻は帰宅しており「疲れた」と言って
寝てました。
この時、思ったのは「珍しいなぁ、いつも同窓会の時は
午後遅くまで友人たちと一緒にいて、帰宅は遅い時間に
なるのになぁ」ということでした。
そして、その後しばらく風邪気味だと言って抗生物質を
飲んだりして、なじみの耳鼻咽喉科にも行ったりしてました。
そして、しばらくの間疲れやすいと言いながら仕事に行ったり
してて、、、、
12月のあの日、職場で同僚から「黄疸がでているから病院に行け」と
言われました。。
後で本人から聞いたところ、数か月前の健康診断で肝臓の数値が悪いと
指摘されていたらしく、そろそろ調べるかな?と思っていたとのこと。
10月の同窓会の時には、すでに癌が進行していたんですね。
もしもですが、健康診断後すぐに診察を受けていたら、、
もしかしたら手術できたかも?もう少しは余命が伸びてたかも?
と”たられば”な思いは残ったままです。
せめて、この同窓会の時にもう少し、”変だな”という思いを
私が強く思っていたら???
考え出すと、またしても後悔の念が・・・・湧いてきてしまいます。
死別して時間が経過して、痛恨の極み という思いは少し和らぎましたが、、
でも、もう少し早く気が付いてれば、、もしかしたら息子の小学卒業まで
見れたんじゃないか? という思いは今も付きまといます。
今日はこの辺で・・・また続きは後日。。
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妻が癌になり私たち家族に起きた、あれこれを書きました。
その結果、テレビ取材を受けました。