繋がれた小象と、根っこのない自分 | タダのブログ:ネット内外からいろいろと

繋がれた小象と、根っこのない自分

生まれ育った土地から離れないなんて馬鹿げてる って匿名日記の中で、『繋がれた子ゾウのお話』という言葉が出てきた。何だろうと思って調べてみた。で、引用。

あるサーカス団に子ゾウがいました。
この子ゾウは、サーカスで芸を強いられており、
それ以外の時間は脱走できないように杭に繋がれた
ロープで足を縛られておりました。
初めのうちは力ずくで逃げようとロープを
引っ張ったりしましたが、自分の力ではどうにも
ならないことが分かると、それ以来逃げようとは
しませんでした。

そんなある日サーカス団員が子ゾウに見つからぬよう
こっそりと杭を抜き、子ゾウの反応を伺ってみました。

しかし子ゾウは一向に逃げようとはしなかったのです。
子ゾウは以前の経験から「どうしたって
逃げられないんだ」と、自分の限界を決めつけ
それ以上の努力をしなかったのです。

自分の限界を決めつけなければ逃げれたものを、
結局子ゾウは一生自由の身にはなれませんでした。

なるほどねぇ。このゾウが幸せなのか、不幸なのか、読み手はどう捉えるんだろう。
多くの人間が「自由になれる事を諦めた可哀想なゾウ」と思うのだろうか。
それとも、「芸さえやってれば、衣食住に困らないゾウの生き方を無難だ」と思うのだろうか。

うちにはネコが2匹いる。俺と結婚する前に嫁が拾ってきたネコだ。
ネコを見ると思う。コイツらは、人間と共存するために、彼らの自由を失っている。
台所に入ったら怒られるし、テーブルの上に乗ったら怒られる。
家ネコなので、外に出れないし、ソファーをガリガリやっても怒られる。
人間の価値観を押し付けられている。それで、幸せなんだろうか、と思う。
ちゃんとエサがあって、外敵がいない、夏の暑さも冬の寒さも関係ない。
幸せなんだろうか、と。

それが良く分からなくて、ネコを見ると複雑な気持ちになる。
ネコは確かに可愛いのだけど、ネコらしい生き方を出来ない彼らは本当にうちで飼われる事を喜んでいるのかな、と。
それを思うと、素直に、ネコが可愛いと言えない自分がいる。

過去に玄関のドアが開いてたことがあり、ネコが外出した。
結局家に帰って来ることができず、他の階(うちはマンションなのです)で、ニャーニャー啼いてるところを保護された。
外に出ていっても、エサのとり方を知らず、ただただ啼くことしか出来ないネコ。
彼らが幸せなのか分からないが、せめて快適に生きてほしいな、と思う。

さて、最初に書いた生まれ育った土地から離れないなんて馬鹿げてる って匿名日記
書き手は、仕事柄いろんな街をまわったという。で、ある程度満たされた街では、その街から出ないで一生を終えることなんて当たり前なんだろうけど、それが信じられない、という。
世界にはもっと面白くて大きな町がいっぱいあるというのに、今住んでる町をベストと思ってその町で一生を終えるのはバカか?と。
そんな中で、その日記に『それは繋がれた小象』の話じゃね?ていうコメントが出てきて、書き手は「あぁ、自分の言いたいことはそういうことなんだ」と安心したらしいんだけど。
この話を見て、自分の考えとは真逆な人だなぁ、と思った。
この人は僕が抱いてる不安とは無縁なんだろうな。

自分は、札幌で生まれた。
幼稚園の頃、道内の北見、という網走に近い町に引越した。札幌に比べたら何もない町だったが山があって緑があった。
それから10歳の時から都内の国立市という閑静な街で育った。後で知ったのだが都内でも有数の、いわゆる「あこがれの町」だそうだ。
それから18歳頃に親が立川に家を買った。
立川駅徒歩5分で帰れる家の近所には、大手デパートや映画館まで徒歩数分で出れる快適な立地だった。
気が向いたら歩いて映画にいける。大きな本屋だって沢山ある。本当に便利な町だった。
今後、どこかに引っ越しても、この町に帰ってきたいと思える町だった。
それから一人暮らしで中野に出た。中野もブロードウェイがあったり、新宿まで歩いて30分ぐらいでいける距離だったのであちこち散歩したり自転車で山手線一周したり、いろいろ楽しい日々を過ごしたもんだ。

でも、思う。
僕には地元がない。
生まれながらに、その町で育った、といえる町がない。
多感な少年時代を過ごしたのは国立市だった。
けど、幼稚園の頃からの幼馴染といえる存在は北海道の北見にいる。
彼らには、もう四半世紀会ってない。子供の頃の記憶だし、「俺、幼稚園の時一緒だったんだよ」と当時の友人の家に遊びに行ったとしても、まだ彼らがあの町にいる保証もない。
そんなんで、僕には幼馴染といえる存在がいないし、故郷といわれてもどこを挙げていいのか分からない。
根っこが無いから不安なんだ。

社会人サークル(バドミントン)の仲間に、中野で生まれ、中野で育ち、今まで中野から出たことのない男がいる。
どこに言っても顔なじみ。彼が今までこの町でどう生きてきたのかが、よく分かる。警察の人ともやたら親しいし、その筋の人にも精通している。
その男を見てると、地元があるっていいな、と本当に羨ましくなる。要は無いものねだりなのかもしれない。

今は、23区内で多摩川が見える閑静な住宅街に住んでいる。
嫁が、独身時代に買った2LDKのマンションだ。
結構夜景も綺麗だし、最近じゃ鳩山代表のおかげで警察官も多く治安が安定も悪くない。
最寄駅の名前を挙げると、みんな揃って「うわ、セレブじゃん」て言う。そんな町の外れ。
駅まで徒歩20分。ありえないぐらいの坂を上ったり下ったりして駅までたどり着く。
商店街と言えるような商店街が無いのが寂しいし、本屋とかも自由が丘まで出ないと揃わない。
コンビニまで10数分かかる。今まで暮らしてきた町の中ではダントツに不便な町だ。
それでも、その町での楽しみってヤツを模索してるし、馴染みの飲み屋や、小さな八百屋のご主人と仲良くなったりして自分の場を作ってる。

買っちゃってるマンションだから、ここから出ないかもしれないし、子供が出来たら手狭になるから売るかもしれない。
景気悪いままだったら、売っても大した額にならないかもしれない。
どこかに引っ越すかもしれないし、自分が自営業だから、なにも日本に留まる必要もないとさえ思っている。
それは分からないが、どんな大金を出しても、地元を手にいれることは出来ないと思うと一抹の不安さえ抱いてしまう。

繋がれた小象はそれはそれで幸せなのかもしれない。