裁判というものは、判決が出ることに意義がある。
たとえそれが、国民の納得には程遠い結果であろうと。
ただ、その意義はおろか、そこに至る道のり自体
存在しなかった事件もある。
2019年に川崎市多摩区で発生した通り魔殺傷事件。
2021年に大阪市北区で発生した北新地ビル放火殺人事件。
いずれも裁判が行われないまま終結した。
いずれも被疑者が起訴前に死亡したためである。。。
被害者・遺族のやり切れなさ、如何ばかりか・・・。
そうした事態になることを、間一髪で回避できた事件があった。
それが2019年に36名の犠牲者を出した
京都アニメーション放火殺人事件である。。。
この事件で青葉真司被告自身も全身大やけどを負い、
生死の境をさまよった。
しかし、医師団の懸命の治療で一命を取り留め、
逮捕・起訴→裁判にまで漕ぎ着けた。
昨年9月から裁判員により審理が行われ、
きょう1月25日に出た結論は、死刑判決。
判決という“答え”が出たこと自体、
確かに意味はあった。
しかし言うまでもなく、とある遺族の言葉を借りるなら、
「(被告が極刑でも)、気持ちが晴れない」のも、
また事実だったりする。。。
今後、青葉真司被告がどのような形で、
“誠意ある謝罪”という“答え”を出していくのか。。。