裁判というものは、判決が出ることに意義がある。

たとえそれが、国民納得には程遠い結果であろうと。

 

ただ、その意義はおろか、そこに至る道のり自体

存在しなかった事件もある。

 

 

2019川崎市多摩区で発生した通り魔殺傷事件

2021大阪市北区で発生した北新地ビル放火殺人事件

 

いずれも裁判行われないまま終結した。

いずれも被疑者起訴前死亡したためである。。。

被害者遺族やり切れなさ如何ばかりか・・・。

 

 

 

そうした事態になることを、間一髪回避できた事件があった。

それが201936犠牲者を出した

京都アニメーション放火殺人事件である。。。

 

 

この事件で青葉真司被告自身も全身大やけどを負い、

生死の境さまよった

 

しかし、医師団懸命の治療一命を取り留め

逮捕・起訴→裁判にまで漕ぎ着けた

 

 

 

昨年から裁判員により審理が行われ、

きょう25に出た結論は、死刑判決

 

 

判決という“答え”が出たこと自体、

確かに意味はあった。

 

 

 

 

しかし言うまでもなく、とある遺族言葉を借りるなら、

「(被告極刑でも)、気持ち晴れないのも、

また事実だったりする。。。

 

 

 

 

今後、青葉真司被告がどのような形で、

“誠意ある謝罪”という“答え”を出していくのか。。。