靖國神社に安寧を。 | 大和魂の黎明!目覚めよ日本!雪 風 便り

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靖國神社に安寧を。
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おおやまとさま  から頂いた問題提起について、大変遅くなりましたが、私の考えを述べます。

まず、
畏くも天皇陛下の靖國神社への御親拝は、英霊が待ち望んでおられると思い、それが叶えば、どんなに喜ばれるでしょう。

しかしながら、日本人の精神そして、国体を破壊する為に作られたGHQ憲法を武器とする左翼売国奴共に、

御親拝が違憲になる等と口実を与え、奴等の穢れを近付けてはならないのです。

英霊は、全てを見守っていて下さると思います。

御親拝を妨げる原因は、昭和50年8月15日に参拝した、当時首相だった三木武夫氏の「私的参拝」発言に端を発するとの事です。
なぜなら、その2ヶ月後の10月20日に行なわれた内閣委員会で社会党は、
畏くも昭和天皇の靖國神社御親拝が、「政教分離の憲法上問題ではないか」との質問をしました。

これに対して、吉国法制局長官は、「天皇の公式参拝は、直ちに憲法20条第3項違反とまで言えなくとも重大な問題となる」と答弁をしたのです。

昭和天皇は、ご予定通り、10月21日に御親拝あそばされましたが、

畏くも天皇陛下の場合、公私の別というのがありません。

それを、首相の参拝が「私的参拝」でした。と、詭弁を弄して誤魔化そうとした、三木武夫氏の軽卒な発言の結果、

それ以来、議員が参拝する度に「公的、私的」や、玉串料は「公金、私金」等の質問をさせる禍根を残し、今日まで38年もの長き年月に亘り、売国奴、左翼、マスゴミ、敵国等に加担する事になったのです。

畏くも天皇陛下は、少しでも物議を醸す行動は慎まれようとの大御心により、これ以降は御親拝をお見送りになられたのではないでしようか。

それは、昭和50年11月21日の
昭和天皇皇后両陛下の靖國神社御親拝を最後に、今日まで行われていない事から推察されます。

しかしながら、春秋の例大祭には、必ず勅使参向があります。

これは、
畏くも天皇陛下の御親拝と同じことなので、陛下の靖國神社に対する思いは今も昔も全く同じだと思います。

従って、よく言われる「A 級戦犯」が合祀されたから。
というのも悪意を持った朝日新聞を筆頭とする左翼が、もっともらしい理由をこじつけ、日本の歴史と先人を貶めているのです。

合祀そのものは、御親拝が途絶えた、その3年後の昭和53年10月ですから、これが原因で無い事は明らかです。

そもそも、我が国に戦犯が存在しない事は、主権回復直後の日本国民有権者のほとんどにあたる、4000万人もの署名を集め、
国会決議で満場一致にて、全ての戦犯と言われた人を解放し、昭和殉難者と呼称を変更し、すでに殺害された人々は戦死扱いとしました。そしてこれは、世界の国々も認めたのですから。

では、なぜ三木武夫氏は一国の首相でありながら、公人だとか、私人だとかを、分けようとしたのか?

その「私的参拝発言」の背景には、当時憲法第20条政教分離に違反するとした

「津地鎮祭訴訟」の第二審判決の影響があったと思われます。

これは、昭和41年1月吉日、三重県津市市長が、市立体育館起工式への招待状を関係者におくりました。

その中に、日本共産党に所属する、三重県津市議会の 関口精一 議員宛に、市長から市立体育館起工式への招待状が送られてきました。

招待状を受け取った関口議員は、
「この起工式が神式で行なわれるのは憲法20条で禁止されている宗教的活動を行なうものであり信教の自由が侵害される」
として、直ちに津地方裁判所に対して起工式の執行停止を申し立てました。

津地裁は、「神式で起工式を行なうのは世上の慣例に過ぎず、招待状を受けても嫌なら参列しなければよく、差止めの必要はない」として却下し、

津市体育館起工式は当初の予定通り1月14日に斎行されました。

関口議員はこれを不服として、提訴に及び、2年間に亘る審理の結果、津地裁は、体育館起工式の斎行は憲法違反ではないと結論付け、原告の訴えを却下しました。

しかし、地裁の判決を不服とした関口議員は名古屋高裁へ控訴、それを〈反靖國神社〉を掲げて活動している売国奴、左翼勢力が、この控訴審の支援活動に乗り出したのです。

当時、国会では 靖國神社国家護持問題が大きく取り上げられており、靖國神社を亡くしたい売国奴、左翼勢力は、

津地鎮祭訴訟に於いて地鎮祭が合憲との判例が確定すれば、靖國神社の祭祀を国家が行なう事も承認され、靖國神社国家護持になる恐れがあると懸念したのです。

そこで、左巻きの憲法学者や宗教学者を動員して、日本共産党の関口議員を支援する体制を組み、マスゴミに働きかけました。

その結果、昭和46年5月の高裁の二審判決は、奴等の思惑通り、
体育館起工式は「憲法違反である」と、一審判決を覆す判決が下されたのです。

この判決に愕然となった神社本庁は、直ちに市長の支援を開始し、市長は最高裁へと上告しました。

神社本庁内には地鎮祭訴訟特別対策本部が設置され、一般への啓発や法廷対策に当り、神道政治連盟を含む神社界が一丸となってこの訴訟に当ります。

そして、神社界以外でも、「政教関係を正す会」や「津地鎮祭問題を考える学者文化人の会」などが結成され、それぞれ活発に活動するなどし、市長を支援します。

かくして、昭和52年7月、最高裁は「違憲である」との二審判決を退けて
「合憲である」との判決を下し、戦後最大の宗教裁判と云われた12年間にも亘った津地鎮祭訴訟はようやく終結するに至りました。

三木武夫氏が、「私的発言」を行った昭和50年は、この二審判決を覆す前だったのです。

そして、支那が反対を言い始めたのは、その10年後の昭和60年9月、中国外務省スポークスマンの発言(朝日新聞が誘引)からで、その後はそれが支那の公式態度となりました。

以上のことから、

畏くも天皇陛下の靖國神社御親拝は、

日本国首相をはじめ閣僚の靖國神社への正式参拝を定着させ、政教分離を論外とする世論を定着させる事だと考えます。

日本国の歴史、文化、伝統、を破壊する為に作られた「GHQ憲法」の害はとても大きく、全ての元凶はここにあります。

しかし、三木武夫氏の夫人睦子氏は、知る人ぞ知る護憲派で、特に9条の会は、大江健三郎氏らと共に呼び掛け人となっての活動や、
元追軍慰安婦に見舞金を支給するための民間基金「女性のためのアジア平和国民基金」の呼び掛け人としても活動しました。

元日本国の首相夫人としては、大変残念に思いましたが、平成24年7月31日95歳にて他界されたとのことで、既にご夫婦はこの世におられませんので、今は御冥福をお祈りするだけとなりました。

次に、左翼が言うところの無宗教の祈りについてですが、
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これは、行きつけば神道であると。
全く、おおやまと様のおっしゃる通りだと思います。

しかし、奴らはそこまで分かっていないのでしょうね。

ご承知の通り左翼の目的は日本国の解体ですから、日本人そのものを形成する根幹である神道の解体であり、これは占領軍GHQの政策を見事に引き継ぎ実行しています。
 
しかし、人が創造したものは、人が壊せるのですが、そうでないものは人にはこわせない。人智が及ばないのだと思います。

畏くも萬世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。
これは人が創った制度ではないのです。
神道も然り、人が創った宗教とは全く別であり、宗教の枠に出来ないのです。
神道には、他の宗教と呼ばれているものとは違い、教祖も教典も存在しません。
 
天皇、神道は、天壌無窮であり、左翼といえども、この恩恵を受けているのです。
 以上、私の考えを述べました。
又、ご指導賜ります様今後とも宜しくお願い致します。

ところで、いよいよ東京都知事選が始まりました。
迷うことは何も無く、田母神氏以外にいないのです。
もういい加減に日本人は目覚めなければ後がないでしょう。
 
そして沖縄は悲しいですね。
沖縄の本当の不幸は返還されてから左翼の活動の場となった事です。
沖縄戦で戦死して下さった方々はさぞかし今の現状が情けないでしょう。
 
今、日本人は、祖国を、祖先を、日本人を、そして自分を、知らなすぎます。
 
全ての元凶は、占領憲法です。これを一刻も早く払拭する事が日本を救うのです。
 
目覚めよ日本!