奈良県桜井市にあります大兵主神社(穴師坐兵主神社)さん。

 

崇神天皇60年の創建。

穴師坐兵主神社、巻向坐若御魂神社、穴師大兵主神社、三社が焼失等で合祀され、現鎮座地になったのが、

室町時代といいますから、悠久の歴史を誇る神社さんのひとつですね。

 

そんなわけで、当社は三神殿。

拝殿からは、その上層部が覗える程度でより荘厳さに惹かれます。

 

右、若御魂さん。左、大兵主さん。中央が兵主さん。

右はアマテル・ウヒルギ・ワカヒト神かもしれません。

ツハモノヌシさんから見て、アマテル神は甥っ子ですから、「若」となります。

 

応仁の乱で焼失したそうなので、現存しうるなら、是非見たかったなと。

アマテル神でなければ、ワクムスビさん=ウケミタマ・アカヒコさんではなかろうかとも。

 

左は大和大国魂さん=二代大物主で初代事代主のヲコヌシ・クシヒコさんかもしれません。

 

左右ビッグネームの中央には、ツハモノヌシさんが祭られると思われます。

ツハモノヌシさん、父が朝日神こと、大物忌大神で第五代タカミムスビのトヨウケ・タマキネさん。

兄には第6代タカミムスビ、カンミムスビ・ヤソキネさん。

ヤソキネさんの奥さんが、白山姫こと菊桐姫。後世ご夫婦共々、白山神と呼ばれるように。

 

お姉さんには、御隈野の神こと、イサナミ・イサコさん。

当然のことながら義兄には、淡路の宮で神上がりされたイサナギ・カミロキ・タカヒトさん。

 

親族周辺ビッグネームだらけのツハモノヌシさん。

相当なるご活躍もありながら、国史ではあまりその名を耳にしません。

 

大物忌大神にして第五代タカミムスビ、トヨウケ・タマキネさん、大日霊貴ウヒルギ・ワカヒト神のあとを受け、

サホコチタル国の副マスヒト(副代官)に就任したツハモノヌシさん。

シラヒトさんと共に西日本の統治にあたり、ご活躍されたそう。

ご活躍の一方で、

以前よりサホコチタル国を治めていた兄の神狭日/カンサヒさんの失政に気付き始めていました。

 

とりわけのシラヒト、コクミ(代官、副代官)の非道、やりたい放題。

それを見て見ぬ振りする兄。

切歯扼腕し正義の炎に燃えるツハモノヌシさん。

義憤に駆られた末、兄カンサヒさんをタカマ/高天(中央政府)に告発。

告発により兄カンサヒは更迭されるも息子の天忍日命/アメノオシヒさんが後継者に。

 

アメノオシヒさん、サホコチタル国の新マスヒト/代官になったはいいが、シラヒト、コクミを味方につけ、そのまだ上をいく贅沢三昧を目論んだか、酒池肉林を味わおうと奸計したか。

ハタレ根(道から曲がり外れた霊や人/墜落の果)はどんどんサホコチタル国・根国の地中深くに根を張ります。

 

類ともというか、結局はオシヒさんのさらに上をいく大御所、マス姫モチコさん・コマス姫ハヤコさんクラキネシスターズに丸呑みに取り込まれることに。

オロチと化したクラキネシスターズの勢い止まらず、反中央政府の名の下、簸川・ヒカワに六族ハタレ軍集結。蜂起。

 

最期は、ソサノウ・ハナキネさん、そしてツクヨミさんと伊予津姫の子、イブキドヌシ・モチタカさん率いる中央政府軍に敗北、鎮圧されたといいます。

 

ツハモノヌシさんの最初の勇気ある一歩から、ハタレがあぶり出され、浄化されたことになります。

 

ほかにもアマテル神がハナキネさんの暴挙を恐れて結室に隠られた際、いろんな解決策を提案されたり、

事前、事後の準備、用意をされたり、

飯綱満ち/イツナミチ(六族ハタレ軍の一族)(人や獣に憑いて化けたもの)のもののけに対して、

フツヌシさん、タケミカツチさんと共に霊還し(迷える魄・魂を天地の宮へ還すこと)を行ったり。

 

その霊還しの功績を称えられ、アマテル神より磯城県(現奈良県桜井市周辺)を賜ります。

アナシウヲカミ/阿無し結守(隈のない人の道を啓いた尊)という名も贈られ

写し日代治人/ウツシヒカンオチ(日の神”アマテル神”の威光を写し、代理統治人・皇代行人)として

穴師結尊・ツハモノヌシさんは大和・磯城を永らく治められたそうです。

(写し日代治人=磯城県を治めるツハモノヌシの代名詞)

 


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