(気づけば1年半ぶりの続きとなりました。月日の流れは早いですね😊この限りある1日1日に最高の感謝をのせて)
虹色の闇 23
当時20、21歳だった私は自分が大人だと、とても勘違いしていた。
相談することが子供みたいで、知ったかぶりで塗り固める。
『わからない』と言えば、誰も私の話を聞いてくれない。そう感じていた。
(この頃はそんな自分に違和感は無かった)
普通にお葬式をして、普通に遺品整理をする。
そんな’普通’は無かった。
’無知は罪’とはまさに。
今の私なら最後の最後まで納得いくよう行動するだろう。
私の荷物、私が買った実家の家具や家電、
明らかに祖父母の私物・・
私の心も、周りの大人の心も真実を知っているはずなのに
遺産となるものは全て「私が買いました」と、突然現れた親族は言う。
祖父が身につけていたもの、祖父のお財布そのものも無くなり、
人の醜さ、残酷さに触れた。
人が死んだ直後に、思い出の品を懐かしむこともなく
『これは私が買った』『これは私のやつや』と次々選別。
親族の中でいがみ合い、私の話は適当に流され、遺産の裁判がスタートする。
思い出のある祖父母との家にはもう入れなくなり、
弁護士さんと一緒なら、必要なもの、触ったものを書き留めれば出入りは出来たものの、当時は’思い出’の大切さ、大きさにも気づいていない私は家に出入りすることも、もう怖かった。
知らない大人を恨んでも意味がない。
無知な自分を責める事もできないほどの疲労感。
時間が流れるのがとてもとても遅かった。
どうしていいか分からない。
死人に口無し。
金の切れ目は縁の切れ目と言うけれど、
もともと縁の薄い親族が何を言っても私は冷静だった。
ただただ祖父に会いたいと思った。
死んでしまったらもう会えない。
人の人生、、、
1番大好きな人が居なくなる。
あまりにも滑稽だ。