ついこの間正月迎えたと思ったら、二月ももうすぐ終わり。
2017年の2月はもう2度と訪れないですからね。
1日1日を大事に過ごさないといけないですね。
もちろん、それは自分の為以上に、誰かの為に生きることって大事だなぁと思いました。
おはよーございます
ポーターこと中村雄太です。って誰やね〜んて思った人はコチラ!!
あの時にもう一度戻るなら
昨日、こんなテレビがありました。
もう一度、あの時に戻れるならあなたは同じ選択をしますか?
ある人物にスポットを当てタレントが、インタビューするというもの。
その中で、出てきた方がこの方!!
沖縄県代表として初めて、夏の甲子園決勝まで(しかも2年連続)導いた名投手''大野倫''
約25年も前の話。当時、私は小学生でしたがこの人の闘志にテレビに釘付けになってました。
この方に、当時に戻れるならどう選択しますか?
て話でした。
骨折しても投げ続けた結果
全国約4000校の中で、決勝に進めるのは二校だけ。しかもそれが、2年連続ってすごいですよね。
しかも沖縄県代表が初めて出たのは1972年。首里高校。当時アメリカの占領下にあった為、甲子園の土は検閲で海に捨てないといけなかったという話は有名です。
沖縄の方にとって甲子園で優勝するのは悲願なんですね。
この大会1人で700球以上
どうしても、大野倫さん1人に頼っていたため大会1人だ700球以上も投げ続けた彼の右肘は限界を超え、 疲労骨折しながらも沖縄の悲願のために18歳の若者が頑張ってました。残念ながらに連続準優勝でしたが、それ以上に彼は投手として復活さることはできませんでした。肘の酷使。
この後、大野倫さんは大学に野手として進み、その後巨人に入りましたが鳴かず飛ばずで活躍することなく引退。
もう一度あの時に戻ったら・・・
あの夏、無理をしなければプロで投手として入り、歴史に残る大投手になってたかもしれない彼。なぜそこまで頑張ったのか。いや、無理をしたのか?
そこを橋下徹さんが沖縄の状況を考えながら話を聞かれてました。
「難しい質問ですけど、自分の為よりも沖縄の方たちの思いを背負って投げてましたので、あの時に戻ったとしても、僕は投げますね。」
日本人は特にこういった美談が好きな人種なんですが、自分のことはさておき、自分の為よりも誰かの為にがあったからできただけで、後悔は何もないです。とおっしゃられてました。
その時、ふと考えたんです。
そういえば、私も自分のためだけにしたことで、後悔したことは沢山あったのですが、他の人の為にと思ってしたことって、後悔したことがないんです。
それを大野倫さんは、言いたかったのかもしれません。
当時、18歳の青年がそう思いながら真夏のマウンドに立ち続けたってことは、私もこれからできるはず!!
気づいた時にやるのが最速!今からやったら遅いはないと思ってます。
それでは、みなさまステキな休日を👋