今年は新年会が五つ。

1/6:埼玉県行政書士会浦和支部
1/9:絶対達成社長の会
1/13:埼玉県行政書士会
1/21:大学同窓会(浦和支部)
1/22:自治会(地元四丁目)


今までは、会社の新年会ぐらいしか参加することがなかった。

なんという変わり様。



行政書士会浦和支部の新年会には市長が出席。
埼玉県行政書士会の賀詞交換会には、衆・参・県の議員や県知事、市長が出席。
ミーハーな自分はそれだけで舞い上がっておりました。
(フルコース料理をもっと堪能すればよかったな)

大学同窓会や自治会の新年会なんて今までは絶対に参加しなかったよ。

絶対達成社長の会にしたって、知り合いが一人もいないのにトコトコと参加。

この会は6年ほど前に、ある営業セミナーに参加して、その講師の方に惚れ込んで、何度かセミナーに通って… いろいろあって、なんだかんだでメンバーに。
(営業セミナーで聞いたことが試験勉強にとても役立ったんだ。)

今では、月に一度の例会参加がとても楽しみになっちゃった。



お付き合いが拡がったのか/拡げているのか
関わる世界が拡がったのか/拡げているのか

いやいや 単に "変わった" んだね。

見ようとする世界が "変わった" んだな。
見える世界が "変わった" んだな。


来年の今ごろは…
もっと拡がるのか、それとも縮むのか、
或いは、消え失せてしまうのか

どうしているのかしら
もちろん ~ だよね。

 
一年前の今日、親父の葬儀だった。

今日のように穏やかな天気だった。
ごく内輪の親族だけで見送った。

親父が結婚したときの歳と
俺が産まれた時の歳を結構気にしていた。

親父に遅れないように と思っていたんだね。

親父と同じ寿命ならば、残された時間はあと26年。


まだまだ先は長いと考えるか短いと考えるか。いやいや決して短くはないなぁ。結構、あるよね。

ただ、
頭と身体がしっかりしているのは20年あるかね…

まぁ、
それでも新しいことに取り組んで、
あーだこーだと楽しむことぐらいは十分に出来るだろう。

やり直し出来る猶予はないかもしれないけどね。

来年がとても楽しみだ。

一年前の今日が試験日だった。

この時間は試験が終わって…
「あぁ今年もダメだ…」
とトボトボと家路についていた。

今日のようにとても寒くて
雨も降っていたなぁ。



一年後の今日。

埼玉県行政書士会館で研修受講。
県書士会主催の初心者向け基礎講座。
朝から3コマ。
来月の別講座も受講するつもり。

今はまだサラリーマン兼業の身で
いわゆる二足のわらじを履いています。

来年の"独立"開業を目指して
一歩一歩進んでいるところ。

変われば変わるもんだ。
ホントに。
 

いや すっかりご無沙汰してました。

行政書士試験がもうすぐ。


一年前、そうあの頃は、

試験前の最後のあがき…
「ぐぐっ、間に合わない…」
「あぁもう、あと一月あれば…」

オヤジの退院の付き添いもあった。

「諦めたわけではないけど…普通に考えてダメ、多分ダメ。いや、絶対ダメ…」



一年後、

一昨日の土曜日。行政書士支部会の研修旅行。
浦和駅集合で、高幡不動→深大寺→高尾山口へと。支部長や役員をはじめ40人でバス旅行。小学生の頃の遠足気分。


なんという違いなのだろう。

この一年、
いいことも 良くないことも
気持ちいいことも 嫌なことも
愉快なことも 不愉快なことも
ドヤ顔気分も 凹んだときも
いろいろあった。

だけど、
今自分が立っている場所は、
一年前とは全く異なるところ。
それが良くわかる。


もうすぐ、オヤジの一周忌だなぁ。

来年の今頃は
どこに立っているのだろうか…

その次はどこに立とうとしているのだろうか…










このブログ、今日で100日目です。
毎日、朝7時27分に公開してきました。

毎日って結構しんどいですが、頑張ってみました。

これからは、シュウイチペースくらいで書き込むことにします。

なにせこのところ、スマホにかかりっきり状態だったんで…

昔、家族で漢字検定を受けた。

上の息子が受けるというので、じゃぁみんなでやろうよという感じ。

試験会場は受験生でごった返していた。

廊下には付き添いの親が溢れかえっていた。

おいおい そりゃないだろう。

漢字だぜ。
一緒に受けりゃいいじゃん。
付き添いするだけかよ。


四人とも合格して「家族合格証」をゲット。
合格級と名前が一緒に記載されたもの。

だけど、下の息子はまだ小学校低学年で記載対象の級じゃぁなかった。

えぇ~っ ほんとかよぉ、まったくもう、ケチな制度だね。

 

だから私が書き込んだ。

合格証は大切にしまってある。
今度、家の中に飾ろう。

商売したかったようだ。

させたかったな。
行政書士事務所のこと、あれこれ言っただろうな。

法人化するときにはきっと出資してくれただろう。


墓前に合格を報告したが、なにもおとさたがない。

そう言えば…
夢枕に出てきてくれたこともない。

いい歳してなんだけど、
少しは誉めて欲しいもんだ。

勉強がすごく出来たらしい。
が、家庭の事情で進学は出来なかった。
戦争で父親(私にとって祖父)が戦死。
東京日本橋から千葉の野田に。
4人の兄弟姉妹で一番上だったおふくろは中学校を卒業して即、就職。


おふくろの自慢は、
「片親だと就職なんか出来ない」
とさんざん言われた。だけど、銀行とメーカーに採用になったこと。

よく聞かされた。

弟(私にとって叔父)や妹(私にとって叔母)も頭がよかった。

ばあちゃんはそう言われると、
「一番上の(私の母のこと)がもっといい」
と言ったそうな。

ばあちゃんはおふくろを進学させられなかったことがとても残念だったんだろう。
ばあちゃん自身も学校に行かせてもらえるという理由で飛騨の山の中から日本橋の棟梁の家に養女として出てきたそうだ。
実際は学校にはいけなかったらしいが…


おふくろは「勉強しろ」って言わなかったなぁ。
オイラも勉強しなかったなぁ



13年前に突然いなくなった。


あのときは思いっきり泣いた。息子たちの前で。大きな声で。
「俺はまだ親孝行を何もしていない」



「孝行をしたいときには親はなし」
ってのがホントに身に染みた。



親父と真面目な会話をした記憶がない。


進学について相談していない。
浪人したときも相談していない。
就職について相談していない。
結婚も転職も同様。
全部おふくろ経由で事後報告。

ひどい息子だと我ながら思う。

今回の受験も相談していない。
ただし、もうわからなかっただろうけど…

今回の結果を墓前に伝えた。

親父が生きていたら
「やるのぉ おぬし」
ぐらいかなぁ
これ酔ったときの親父の口癖です。