木はかわいそうか

 

今日、「最低の選択か最悪の選択か」を迫られる

都知事選挙が告示されます。

この表現は評論家の岩田温さんによるものですが、

「言い得て妙」だと思いました。

 

最近は、小池都知事と蓮舫議員の主張を「我慢して」聴いています。

いゃ~、厚顔無恥とはこのことでしょう。

お二人の語る内容は図々しいこと、この上ないものでした。

 

「緑のタヌキと赤いキツネの対決」というのが、

何ともうまい表現だと思います。

どうやって都民を化かすかという点で、ほぼ両者同列です。

 

蓮舫議員の話を聴くと、知事選では明治神宮外苑の

「森の伐採―再開発」が争点の一つにされる感じに思えます。

 

樹木の伐採は、千代田区でも神田警察通りのイチョウの木が

問題化されていますので、関心を持つところです。

 

日本人の樹木に対する評価は、「理性より感情が優先する」

(鈴木三男著『日本人と木の文化』)と言われます。

 

日本人は、木と一緒に生きてきた歴史的経過があります。

そのために、「木がかわいそう」といった

感情論が横行することがあります。

これでは、問題の解決策を見出すことができなくなります。

 

解決策を見出そうとするのであれば、最初に森と林の違いを

承知しておく必要があります。

違いについては、大きく分けて二つあります。

 

①   学問的には、森は多様な木が生い茂る暗いところで、

  林はせまく同じ種類の木が並ぶところ

②   農林水産省の説明では、森は自然にできた樹木の密集地で、

  林は人工的につくられた樹木の密集地

となっています。(以降、便宜的に①の視点で説明します)

 

次に街路樹の役割と寿命について承知しておかなければなりません。

(私が樹木の勉強をしたのはかなり昔のことですから、

現在の研究成果にそぐわないかもしれません)

 

街路樹の役割としては、一般的に

①   景観の形成や向上

②   目隠し

③   防災機能(防火や防風など)

④   大気汚染防止

⑤   熱遮断効果

であると整理されています。

 

法律上の位置づけは、「道路の付属物」です。

道路標識と同じ扱いになります。

 

ウイキペディアによりますと、街路樹の寿命は

7~13年だとされています。

同種の樹木であったとしても、

公園のものよりはかなり短命です。

 

これは、自動車排出の化学物質が多く、栄養分・微生物・

酸素・水分が不足するためです。

街路樹は、植物にとって相当過酷な状態の置かれるということです。

 

そのため。街路樹は絶えずメンテナンスが必要であり、

定期的な植え替えが必要となります。

 

「木がかわいそうだから、伐採するな」という主張からすると、

過酷な環境下に木を植えること、つまり樹木を

街路樹にすること自体が「かわいそうだ」ということになります。

 

欧米人のように、自然と闘い克服するという思想は

日本人にはありません。それでも、樹木が

人間の営みに活用するために存在することは知っています。

樹木を擬人化して語ると、家すら建てられません。

 

ただ、日本人が樹木に対する反応をしたときは、

それなりの配慮をしなければならないということは言えます。

日本人は、樹木と共生しているからです。

 

二酸化炭素吸収

 

『森林の江戸学』(東京堂出版)によりますと、

日本国土の3分の2は森林であるということです。

 

そして、日本人は日々の暮らしの中で森林と接し、

樹木や林産物を活用することで生計を成り立たせてきたと説明されています。

 

植林と木材に関する日本最古の記録は、

「日本書記」にあるとのことです。(『森林・林業学習館』資料)

樹木は、日本人の生活とは切り離せないものだったのです。

 

植林などの方法で、人間が手を入れて森林が育つことに導く場合を

「人工林」と呼びますが、日本の場合はこの

「人工林」が身近なところに数多くありました。

(自然のままのものを、「天然林」と呼びます)

 

「人工林」は、その場所に生育していない種類の樹木の森林を形成できます。

 

戦後日本では、建築用資材の需要急増と石油やガスへの燃料転換

によって(マキを使わなくなった)、大規模な造林が進められました。

 

それまでの広葉樹ではなく、成長が速い建築材に適したスギ、

ヒノキ、カラマツなどが積極的に導入されました。

 

その頃から、針葉樹ばかりの森林が増え、

日本の森林が貧弱になっていきました。

森には多様な樹木が必要です。

 

ところで、樹木は二酸化炭素を吸収するとされています。

それ自体は間違いではありませんが、

積極的に吸収する期間というものがあります。

 

 

上記資料にある樹木は、70年を過ぎるとほとんど吸収しません。

この辺を承知しないで「樹木を伐採するな」

とやるのは、科学的ではありません。

 

日本人は、木を上手に活用して生活を支えてきました。

樹木を放置しておかざるをえないの密林は別にして、

手の届くところでは世話をして副産物を活用してきました。

 

たとえば、日本の割りばし文化がそれです。

間伐材を活用して「消耗品としての割り箸」をつくり、

販売した利益を森林保護の経費の一部にしてきました。

いわゆる資源のサイクルです。

 

それが、廉価な輸入割り箸と「マイ箸」の流行によって壊され、

今日の放棄された森林を生み出す原因の一つになりました。

流行が去ったあとには、輸入箸が残るだけでした。

 

さて、神宮外苑と神田警察通りで問題にされている

「イチョウ」のことですが、これについては明日のブログで報告いたします。