受け皿がない

 

若い時に左翼グループの日本社会党に所属していた私が、

誰かを「左翼」と表現しても蔑称の意味はありません。

ささやかな友情を込めている場合があります。

 

正義感に駆られた若い人は、反体制になりがちなものです。

私が若いころは体勢=自民党を批判することが、

学生の「正義」だったのです。

 

大学生時代の友人には、「左翼~極左」はたくさんいました。

その多くが大学卒業前に「転向(?)」して、

普通の人になって就職していきました。

 

「苦学生」の私は過激な方向に駆られませんでしたので、

いろいろなところに顔を出し、のんびり考えてゆったり行動していました。

政治の知識も緩やかに蓄積されて社会党員になり、

その後ゆっくりと社会党を離れました。

 

あのころは「55年体制」と呼ばれる棲み分けの名残があり、

意見の違いはあっても自民党と社会党が共存していました。

あくまでイメージですが、国政や地方自治体で自・社が

激闘状況にあったとしても、体制潰しまでいかなかった感じがします。

 

視点を変えると、自民党の存在を支えていたのが

社会党だったように思えます。

その社会党が消滅したのち、自民党自体が

左翼の色彩を強くしてきたようです。

 

左翼独裁国家との関係を強め、それまで社会党が

関わっていたかもしれない、様々な「利益」の大半を

自民党が占めるようになったのでしょう。

 

結果として、自民党がぐ~んと左側に寄ったのではないでしょうか。

日本企業を育てるよりも独裁国家と関わったほうが、

政治家や政党が豊かになるというわけです。

 

社会党が崩壊したあと、元気な元社会党員は極左に近くなり、

「中間層や保守層」の受け皿の存在が曖昧になりました。

 

現存する立憲民主党、国民民主党がどのような存在になるのかは、

まったくわかりません。

自民党と同じで、玉石混交の「石」ばかりが目立ちます。

それでも、窮屈なりに受け皿にはなっているのかもしれません。

 

自民党への希望を失った場合の、保守層の受け皿はどうでしょうか。

参政党に一時期待しましたが、本体が残念な状況にあります。

 

日本保守党ができました。

日本保守党は、4月28日投票の衆議院東京15区(江東区)の

補欠選挙では、イスラム思想研究者の

飯山陽(いいやま あかり)さんを候補者として擁立するようです。

 

日本保守党が日本の政治の、

新しい流れをつくる役割を果たしてくれるかもしれません。

 

文学博士の飯山あかりさん

 

千代田区では

 

千代田区の自民党議員(多数派)は、「左翼自民党」と呼んでも

差支えのないような行動をしています。

 

某議員は先輩たちがやってきたように、

自分に「挨拶がない、相談がない、〇〇がない」と、

行政や同僚議員を恫喝している議員もいるようです。

 

そういう個性をもっていた議員が、

入札情報漏えい事件と収賄罪の容疑者になりました。

 

「左翼自民党」議員がやっていることに、協力している左翼議員がいます。

そのため、彼らはますます増長するのでしょう。

左翼議員が、自民党議員(多数派)の横暴を支えているように見えます。

(実際には、多数派の半数だけが横暴なのかもしれません)

 

千代田区における、「ローカル55年体制」なのでしょうか。

 

千代田区の保守系議員は、ほんの一握りになってしまいました。

多数派の自民党議員は、

「左翼に屈服している」(区職員)のかもしれません。

 

予算案の審議で、左翼議員と一緒になって、いや、先頭に立って

反対していたのが自民党の多数派議員のようです。

 

為政者に抵抗すること自体は、悪いことではありません。

行政に緊張感を持たせることになり、それは必要不可欠なものです。

問題は、それが「私的理由」からくるものであるかもしれない、ということです。

 

区長になりたい、都議会議員になりたい、権力者になりたい

ということが動機であれば感心できません。

議会の場を、個人利用しているだけになるからです。

もっと前向きになってもらいたいものです。

 

自民党多数派は、予算案に対して「認めたら犯罪になる」といった

発言までして可決に抵抗したのに、全体の雰囲気が悪くなった途端に

予算案に賛成したというのですから驚きです。

 

一貫性のない某議員たちに、

どうしてほかの自民党議員は同調するのでしょう。

主体性がない、ということなのでしょうか。

それとも、「保守」を捨てたのでしょうか。

 

「自民党・左翼議員連合連合」のような態勢で予算案が

否決されれば、各議員は目を覚ますかもしれないと、

密かに期待していました。

 

可決の見通しであることが残念です。

 

ここからは、推測の世界です。

千代田区には「都議会のドン」がいました。

その「子分」として、「千代田区議会のドン」がいました。

 

二人が身近なところからいなくなり、「次は俺がドンになる」

とばかりの恫喝議員がここで台頭してきたようです。

 

これまでの「ドン」たちが左翼議員を使って存在感を示したように、

新たに「ドン」になろうとしている議員も、左翼を利用しています。

 

ただ、先輩「ドン」たちは、何か憎めないものを持っていました。

そこは大きな違いがあるようです。