可愛い人たち

 

新年をいかがお過ごしでしたでしょうか。

年末から冬の寒さを感じるようになりましたが、

風邪など召されませんでしたか。

 

私は、能登の大震災と羽田空港の飛行機事故への心配を除けば、

読書と餅三昧の正月でした。

私が朝昼晩と「餅にしよう」というので、カミさんが閉口していました。

食べてばかりでしたので、お腹が鏡餅状態になっています。

 

お正月は身近な神社へ参拝することが多く、

今年は板橋区内の稲荷神社に行ってまいりました。

お稲荷さんを信仰しているわけではありませんが、

秦一族が建立したという稲荷人社には関心を持っています。

 

日本で三番目に大きいといわれる、板橋の大仏がある

乗蓮寺にも行ってまいりました。

今年は、神社とお寺参りの梯子です。

 

新年が開けて、知り合いのクリスチャンのお宅の玄関ドアに、

神社のお飾りがかけられているのを見ました。

日本の文化を感じて、正月早々嬉しくなりました。

 

このお宅の奥さま80歳くらいでしょうか、元国家公務員の

ご主人と一緒に暮らす可愛い女性です。

「何歳になっても、可愛い女性というのはいいね」と、カミさんとよく話をします。

 

私の知り合いで、「好い人で可愛い」と思える女性が10人います。

そのうちの5人が千代田区民、2人が沖縄県民、静岡県民が1人、

板橋区民が2人です。

いずれも70歳を超えた皆さんです。

 

私が5歳のときに父親が病死したため、母親が必死で働いて

私たちが飢えないようにしました。

当時は〇〇手当というものがなく、母子家庭で生きていくのは大変です。

 

そんな経験をしたためでしょう、私は女性に対して、

とりわけ働く女性に対しては畏敬の念を持っています。

これは私の女性好きとは、別物です。

 

千代田区出身の女優、加賀まりこさんが80歳だとのことです。

小悪魔的な魅力があるといわれていましたが、

いまも人を引き付ける容貌を備えていらっしゃいます。

 

綺麗な高齢者ということでは、女優の草笛光子さんが素晴らしいと評判です。

「あんな風に年を重ねたい」と、年配女性から声があがるのもよくわかります。

女性は年齢に関係なく、輝きを放つものだと思います。

 

どうして男性を俳優と言って、女性を「女優」と

別扱いにするのか調べたことがあります。

 

話は簡単でした。明治前までは俳優を「わざおぎ」と言い、

滑稽な動作をして歌い舞うことで神様や人々を楽しませました。

つまり俳優は役者のことで、全員が男性だったのです。

 

明治になってから人前で演技をする自由な女性が現れて、

彼女たちのことを女性の俳優=女優と呼ぶようになった、ということでした。

心のゆとりが

 

昨年、久々に元外務大臣の田中真紀子さんの、記者会見の一部を視聴しました。

毒舌は健在のようですが、さすがに「時代ではない」という感じがします。

 

彼女は故安倍首相を「種なしカボチャ」と表現して、

子どものないことを揶揄しました。

また、麻生元首相を「ひょっとこ」と口が歪んでいることをいじるという、

失礼な言動を繰り返していました。

 

一時彼女は、国民の人気を独り占めするような状況がありました。

今なら、「人権侵害だ!」との批判を受けるような発言ですが、

当時はまだ世間に心のゆとりがあったのでしょう。

 

物事の本質を突いたところがありましたので、

国民側はその毒舌を楽しんでいたのだろうと思います。

 

江戸時代の風刺ものを見ると、この手のものが結構ありました。

庶民は結構風刺を見て、うっぷん晴らしをしていたのです。

 

この風潮は戦時中を除いて、終戦後も続きました。

当時の政治家に対する許容度には、特異のものがあります。

 

1946年の選挙演説で、「自民党を創った」と言われている三木武吉氏が、

反対候補から強烈な攻撃を受けました。

その時の様子を、『政治ドットコム』で次のように紹介しています。

 

「ある有力候補者のごときは、なんと妾を4人も連れている」

演題に上った三木氏はこう反論します。

「私の前に立った吹けば飛ぶような候補者が『ある有力候補』と申したのは、不肖この三木武吉であります。なるべくなら、皆さんの貴重な一票は、先の無力候補に投ぜられるより、有力候補たる私に、と三木は考えます」

 

「なお、正確を期さねばならんので、先の無力候補の数字的間違いを、ここで訂正しておきます。私には、妾が4人あると申されたが、事実は5人であります。5を4と数えるごときは、小学校1年生といえども、『恥』とすべきであります。1つ数え損なったとみえます。ただし、5人の女性たちは、今日ではいずれも老来廃馬と相成り、役には立ちませぬ。が、これを捨て去るごとき不人情は、三木武吉にはできませんから、みな今日も養っております」

 

三木は愛人の存在をあっさりと認め、さらに詳細を訂正し、聴衆の爆笑と拍手を呼んだ。この選挙では三木がトップ当選を果たした、とのことです。(この部分はウィキペディアから)

 

最近の政治家はどのような仕事をしているのかではなく、

品行方正かどうかでの評価を受けるようになりました。

この風潮は、小粒の政治家や官僚的な政治家を生み出すための、

一定の役割を果たしていると思えます。

 

ボクサーには行儀の良さよりも「強さ」を求めますから、チャンピオンが誕生します。

対抗者を打ち倒すという精神性がなければ、試合自体が成立しません。

 

しかし、あまりにも行儀が悪いと周囲は不快感でいっぱいになります。

規律性と強さのバランスの問題、ということなのでしょう。

 

バランス感覚が大事だということは、特に政治家に対して言えるものです。

安倍首相とトランプ大統領のときは、国際社会に対して

バランス感覚が生かされていましたが、岸田内閣はどうにもなりません。

 

最近は交渉相手の国に気遣いして、

その見返りを求めるような政治家が揃っています。

アスリートも政治家も、アンフェアなことばかりしているとフアンが離れていきます。