同祖論

 

ウクライナ危機をグローバリストと呼ばれる、国際金融資本家が仕掛けているという話が、

普通にSNSで飛び交うようになりました。

 

幾つかの戦争の仕掛け人は、昨日「ダボス会議」で紹介した、ジョージソロス氏などの

ユダヤ人金融資本家であることが、ほぼ明らかになっています。

 

このことをブログに投稿すると、

ユダ人を批判しているように思われるところがあるようです。

 

でも、私は事実関係を述べているだけであって、ユダヤ人排斥を意図していません。

 

知人から「日ユ同祖論」の話を聴いたのは、かなり前の話です。

それをきっかけに、いくつかの「同祖論」書籍に目を通しました。

そのころは、ウクライナ危機は関係ありませんでした。

 

ロシアによるウクライナ侵攻以降は、関連書籍を漁って読んでいる感じになりました。

 

日本人とユダヤ人は同祖であることは、ユダヤ人と思われる人型埴輪が

いくつも出ていることが証拠だという話、神道はユダヤ教の影響を受けたものだという見解、それを含めた各研究書が面白さで溢れています。

 

中には、「日本人は失われたユダヤ10支族の子孫だから、

イスラエルに帰ってきてほしい」という話もあります。

これは、元駐日イスラエル大使の「思い」です。

 

いや違う。それらはこじつけであり、日本民族は単一ものだという反論もあります。

 

DNA分析ができるようになり、ある程度は事実がわかるようになりました。

しかし、それらのやり取りは「日本人は何処から来たのか」を考える上で、

とても面白いものであることに変わりはありません。

 

ふだん私は、一つの方向を導き出すときには、異論についても意識するようにしています。

両論を知ったうえで、納得がいく意見を支持するようにしています。

 

「日ユ同祖論」に関しては、両論とも興味深いものがあります。

 

大陸から「秦氏(はたし はたうじ)」が渡来して、日本文化に様々な影響を与えた

という説明については、事実関係から納得できるものです。

 

京都のまちづくりに大きな影響を与えたという解説にも頷けますし、

祇園祭は「秦氏」の宗教観をよく表していると思います。

(『京都はユダヤ人秦氏がつくった』田中英道著:育鵬社 の記述に対して)

 

諏訪神社にも影響があるとされますが、

幾つかの神事の内容を見ると、これも納得できます。

ただ、それが「日本人の祖先はユダヤ人である」ということに直結しそうもありません。

 

太秦(うずまさ)

 

機織りは秦氏が持ち込んだ技術なので「はたおり」と呼びますし、

祇園祭の山鉾のタペストリー(山車の外側に垂らした織物)には

明らかにペルシャの影響があります。

これは、彼らが日本で生活していたことを示している証です。

 

彼らはどこから来たのか。

中国大陸にむかし、弓月(クンユエ・ゆづき)という国があり、

そこから何年もかけて日本にやってきたとのことです。

 

いまの中国人なのか?

そうではなく、弓月国の人たちは、現在のイスラエル方面から大移動してきたとのことです。

他の場所では差別をされ続けた彼らは、東にある太陽の国を目指してやってきた

ユダヤの人たちでした。

 

日本人は彼らを差別しないで、大歓迎しました。

歓迎された彼らはゲットー(ユダヤ人街)をつくる必要がなく、

様々な文化と技術で日本国の発展に寄与しました。

 

私は読んでいませんが。「日本書紀」には彼らが3年をかけて日本にやってきたと、

当時の様子が記述されているそうです。

彼らが、様々な文化・技術を提供したことは確かでしょう。

 

「そんな馬鹿な話があるか、我々の祖先がユダヤ人であるはずがない」、

とおっしゃる方がいます。

 

ユダヤ人は途中から日本に渡来したわけですから、

その前には縄文人の流れを汲む私たちの祖先が暮らしていたわけです。

 

その意味では、祖先そのものではありませんが、

混血という形での影響があると考えるのが普通です。

実際、DNA鑑定では彼らと、日本人、そしてチベット地方の人たちに見られる

特徴的なパターンが示されています。

 

その彼らは今の京都で暮らしました。

生活の中心地が「太秦(うずまさ)」と呼ばれるところです。

なぜ「うずまさ」なのか・・・・・・彼らが

天皇に献上する絹をうず高く積んだことに因んだ地名だそうです。

 

また、「うずまさ」には、ローマという意味もあるそうです。

ローマ?

この辺は、別の機会に報告させていただきます。

 

画像は大量に出土している、ユダヤ人を模したと思われる埴輪

(田中英道著『ユダヤ人の埴輪があった!』の表紙から)