9:00市庁舎。

9月定例会一般質問準備作業や陳情対応を行う。


今日は趣味の話を少ししたいと思います。

本ブログのプロフィール欄にも書きましたが、私は「山登り」が好きです。


政治にたずさわる前は、関東域の岩登り、沢登りや北アルプスの山々に登っていました。


また、登山をテーマとした書籍を読むのも趣味です。印象に残る登山家も、存命であったら8000m峰14座を制覇していたかもしれない山田昇氏(マッキンリーにて遭難死)をはじめ、10人位の名前がすぐ思い浮かびます。


今日、このブログ記事を書いていて、頭に浮かんだのが「役小角」(えんの おづの)です。役小角は現代でいう登山家ではなく、当時は修験者でした。


634年(舒明天皇 6年)に大和国で生を受け、修験道の開祖とされています。


役小角の人生、山行が印象に残るのは、小角の山行が物見遊山的な娯楽としての登山ではなく、山岳信仰に根差した修行であった点が大きいと思います。


「剣岳 点の記」という映画をご覧になった方も多いと思いますが、この映画の舞台となった剣岳も立山修験という山岳信仰の修行場でした。


映画のワンシーンに、1907年(明治40年)7月、帝国陸軍測量隊員が、当時としては最先端の装備で峻嶮な岩稜を命からがら登り、山頂に到達すると、すでにそこには錆び付いた鉄剣と銅製の錫杖があって驚愕するというシーンがありました。


すでに登頂者がいたわけです。その後の鑑定で、奈良時代から平安時代にかけての登頂修験者によるものといわれています。

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アメリカに行く途中の飛行機内でこの映画を3回位繰り返し視聴していたのですが、このシーンには感動しました。


修験者の命をかえりみない信仰心、凄まじいばかりの精神力と体力が凝縮されているような光景でした。


役行者(役小角)は厳しい修行の末に、鬼神を使役できるほどの法力を持つようになり、左右に前鬼と後鬼を従えた図像が残っています。

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