ブータン農業の父
こんばんは
今日もとっても寒かったー!!
明日(日付的にはもう今日ですね・・・)は雪が降るとか
寒い一日になりそうですねー
長靴(あ、レインブーツ)を履いていこうか・・・迷うなぁ。
さてさて!やっぱり他国の「食」文化ってとても気になりますよね!
質問して下さった方もいらっしゃったんですが、ブータンでは基本的にはフォークとスプーンを使います。
お箸はないんですよ
また、年代によって違うと思うんですが・・・手で食べるという方も沢山いらっしゃいます。
隣国がインドなので、わかりますよね
ブータンが親日国であるのは、1人の日本人の貢献があったから・・・・
といっても過言ではない、とても素晴らしいエピソードがあるんです。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
西岡京治(にしおか けいじ)、日本ではあまり知られていませんが、ブータンでは最も有名な日本人です。
1964年、ブータンからの要請を受け、農業指導員として西岡氏はブータンに入国。
呼ばれて行ったものの、遠い国から来たよそ者は、現地の職員からも拒絶するような態度を取られたそうです。
しかし試験農場での野菜栽培がまずまず評価され、つぎに稲作の指導に当たりました。
一定間隔に植える「並木植え」を指導し、なんとそれまでの収穫量から40%の増産に成功しました。
1975年には、ブータンでも極貧地域ジャムガンでの農業開発にあたりました。
当時行われていたのは粗放的な「焼畑農業」でした。村人は西岡氏が指導する新しい農業を拒みました。西岡氏はムリヤリ農業のやり方を押し付ける事は決してせず、800回を越える話し合いを続け、とことん村人を説得します。
西岡氏は「身の丈に合った開発」を信念とし、水田に水路を引くにも、当時ブータンで主流だった塩化ビニール製のパイプや竹を利用し、360本もの水路を完成させました。
壊れた吊り橋の付け替えにも、コンクリート製の橋ではなく、耐久性に優れたワイヤーロープ製の吊り橋を作りました。ワイヤーロープは安価で、しかも村人が持つ吊り橋を架ける技術も役立ちました。計17本の吊り橋が新しく生まれ変わりました。
作った道路も全長300キロメールに達したと言います。
そうして僅か4年間で、ジェムガンの水田は約50倍に拡大し、村人の生活も安定。診療所や学校もできました。
任期を終え、西岡氏が村を離れる日、多くの村人が感謝し、涙を流しながら見送りました。
1980年、これらの農業貢献が評価され、国王より“国の恩人”として「ダショー」の称号を授与されます。ダショーとは「最高に優れた人」という意味で、ブータンでは最高の栄誉でした。
http://magazine.gow.asia/life/column_details.php?column_uid=00000653 より 引用させて頂きました。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
ブータンの方とご飯を食べていても、ダショー西岡さんのお話が出ました。
「ダショーさんがいたから、ブータンで色々な農作物が出来るようになったんだ」
「ブータンにはお米、ジャガイモや玉ねぎ、日本で食べている農作物が沢山ある。それはダショーさんが教えてくれたんだよ。」・・・と。
ブータンと日本の絆の深い部分には、こんなあたたかいエピソードがあったのでした。