1番最初に出会った時のことは今でも鮮明に覚えています。

2006年10月、初めて日本代表に招集されたガーナ戦の行われる横浜のホテルの食事会場でした。

会場に入り、奥の方の食卓に座っているオシムさんを見つけ挨拶をしに向かっていきました。歩いてくる僕を確認したオシムさんが椅子から立ち上がって握手をしてくれたんですが、立ち上がった瞬間のオシムさんは自分が思っているよりも遥かに大きく見え、見上げたことを覚えています。その時の威圧感と、その威圧感に全く見合わない手の柔らかい感触は今も手に残っています。


そこから短い期間ではありましたが、オシムさんとの代表での日々が始まりました。オシムさんのトレーニングやミーティングはこれまで自分が受けてきたものとはまた違うものでした。

「今日は何が学べるんだろう」

「今日は何を言ってもらえるんだろう」

日々、オシムさんに触れる中で新たな自分を発見することが楽しくて、楽しくて。オシムさんが良いプレーをした時に発する「ブラボー‼︎」欲しさに何が良いプレーなのかを必死に考えてプレーしてました。まるでサッカーを始めた頃のような、両親や監督、コーチ、チームメートにプレーを褒めてもらいたくて一生懸命頑張る少年時代に戻ったような感覚でした。そのような気持ちや感覚で日本代表に参加したのは、後にも先にもあの時期だけだったと思います。

それくらいオシムさんのトレーニングや、オシムさんと交わすプレーについてのやり取り、言葉の数々は僕を刺激し、その後の僕のサッカー人生に大きな影響を与えてくれました。

当時、オシムさんの声かけはいつだって自分の想像を超えるもので、知らない世界を見せてくれましたし、自分の選択肢を限定せずにむしろ増やしてくれるものでした。そして、選択肢が増える事で自分の世界が広がっていく感覚というのでしょうか。オシムさんと一つのプレーに対してアイディアの出し合いをすることで、自分が選手としてどんどん幅を広げ成長して行く感覚がありました。「ブラボー‼︎」と言われる回数に比例して、急速に。

と言いつつも、基本は怒られっぱなしでしたが、その分通訳の千田さんを通して自分の意見を直接ぶつけることもたくさんできましたし、ぶつけることでオシムさんの発想を自分のものにして、自分の武器を増やしていくことができました。それもひとえにオシムさんがこちらの意見や考えを頭ごなしに否定せず、時には驚いたり、嬉しそうに聞いてくれるような懐の深い方だったからだと思います。オシムさんに自分の発想を褒めてもらったり、嬉しそうにしてもらえることは選手としてこれ以上ない喜びでした。

自分の考えを一方的に伝えて終わりではなく、選手の考えやアイディアを聞いてから自身の考えを伝え共有することで、互いのイメージをすり合わせいく作業。そして、イメージを共有した選手が実践しようとしたチャレンジを肯定し、その選手の日常の基準をも変える、もしくは高めるサポートをする。

オシムさんとの日々は、間違いなく自分が指導をする中で芯になっています。



僕はいま、指導者としての道を歩み出しましたが、選手に触れ、声かけをしたり、アドバイスをしている中で、事あるごとにオシムさんだったらここで相対してる選手に何と伝えるだろうかとより考えるようになりました。

あの時の経験をいかに選手たちに伝えることができるのだろうか。当時を思い出しながら、30歳を過ぎてから引退するまでは後輩たちに接していたつもりでしたし、今は育成年代の選手たちに接しています。自分を通った選手たちが少しでも幅を広げて成長してくれることを願いながら、自分は選手たちの選択肢を狭めてないだろうか、選択肢を増やしてあげる声かけはできているだろうか。日々葛藤です。


ここまで書いただけでも、オシムさんとの出会いが自分のサッカー人生に大きな影響を与えてくれたことはご理解いただけるかと思いますし、僕だけではなく、多くのサッカー関係者の方々、日本サッカー界に大きな影響を与えた方だと思います。


昨晩、オシムさんの訃報を聞いたのはやべっちスタジアムの本番直前でした。突然入ったその訃報に、ショック過ぎてどんな顔をして数十秒後に始まる本番に臨めばいいのか、わからなくなりました。でも、オシムさんなら「配信を楽しみに待ってる人がいるんだから、それはプロとして全力でやらないとダメだぞ」と言うだろうなと思い、全力で臨みました。でも、コメントを求められた時は瞬間にオシムさんを思い出してしまい、胸が詰まってしまいました。

オシムさんに日本代表に呼んでもらい、多くのことを教えてもらった選手として、オシムさんがどれだけ自分の人生に影響を与えてくれた方だったかを、オシムさんを愛した人間のひとりとして伝えたくてここまで書かせていただきました。

正直、今でも亡くなったことが信じられなくて正面からこの事実を受け入れられていません。この文章を書いている今も現実感が乏しいです。
引退して落ち着いた頃に会いに行きたいと思っていました。なかなか会うことができないからこそ、今もその現実を受け入れられないのかもしれません。思えば会うことが難しいのを分かってか、オシムさんは常に答えをくれました。短く、でも愛情深く。

健やかで幸せであるように。
サッカーを愛し続けるように。
ぼくにとって最も素晴らしいことはサッカーであるからサッカーに関わり続けるように。


オシムさん。

あのイビチャ・オシムに日本代表に呼ばれたことは生涯の誇りであり、オシムさんが教えてくれたこと全てが僕の財産です。感謝してもし尽くせないほどです。

ここから先の人生、オシムさん以上にサッカーを愛し、勉強し、自分が携わる選手たちの成長を第一に全力で精進し、オシムさんのような指導者になれるかどうかはわかりませんが、目指したいです。

願わくばもう一度あの大きな体の偉大な指導者に会いたかった。頑張っているようだなとあの温かい手と握手をしたかったです。オシムさんのブラボーが聞きたくて頑張っていたあの頃のようにまた頑張ります。

本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。



5月2日 中村憲剛


写真は2007年5月15日、千葉・秋津サッカー場にて行われた日本代表候補合宿(報知新聞社提供)。