かっさんの自己中エッセイ893

「出発はついに訪れず」とはどこかで聞いた文言だが、ぼくの場合、「返事はついに訪れず」だった。新聞社に問い合わせ、その上でのぼくへの依頼の電話。どこで亀の首を引っ込めたのだろう。多分、電話の主は、「妹背たかし」のことを、知的でスマートな青年と思い描いていたのではないか。ところが電話の「妹背たかし」は、ぼそぼそとした語りで、しかも耳が遠いとあって、がっかりされたのであろう。「これはちょっとやばい」と思って、依頼の手紙を書くことを中止されたのだ。でなければ、ぼくの個人情報を聞き出すための詐欺的行為であったかもしれない。そんな訳で、赤いバイクがぼとぼとと空からやって来るたびにポストを覗いたぼくは、全くのもの笑いだったわけである。人生そんなこともあろう。たがが、田舎の売れない詩人の話だ。たまたま大賞を取ったからといって、急速に有名になるわけでもない。雑草に埋もれて生きていく。それでいいのだ。自己満足で頭を高くしていればいい。ぼくは今まで、ぼくの詩を読んだ女の人から、「スケベじじ」と酷評されたことが二度ある。一度目は、宿舎に尋ねてきた教え子に酔っぱらって会えなかった詩。もう一つは、お見合いで好意を寄せた女の人を断った詩。二つとも、女性の立場からしてみれば許せなかったのだろう。それがスケベじじとなった訳。ぼくは酔いどれスケベか。それでもいい。コソコソと詩を書いていればいい。うだるような暑さのなか、ぼくは今日も生きてるよ。(詩愛好家)

かっさんの自己中エッセイ892

古い、といっても60年前の日記を引っ張り出して読んでいると驚いた。「2月20日(土)晴れ」とあって、「給料日。3万1千円もらう。下宿代1万2千円。定期と普通に5千円ずつ貯金。あと、剣道部員7人にラーメンをおごる」。これが1967年の記述で、それから十年後の日記。「今日は給料日、18万6千円。6倍も給料アップ。5円ハガキが20円に、10円切手が50円に。給料は上がったとしても物価高に追いつかない」。当時の公務員の給料は安く、食うのにがつがつだったが、我々組合員は相次ぐストライキで、給料アップを勝ち取っていった。ボーナスより追給の方が多い年が数年も続いた。教え子からは、先生はそんなに給料は安いのと笑われたこともあった。教え子の方が稼ぎが多かったのである。今はどうだろうか。もう職場に組合といったものは影も形もない。この物価高、組合員がストライキを構えるといった話も夢物語。高市政権は強い経済とか言って、大企業に大盤振る舞い。好き勝手なことをやっている。世の労働者よ。怒りを忘れたら馬車馬と同じだ。怒りをもって立ち上がろう。世にあふれるお金は労働者のものだ。われわれが処分覚悟でストに次ぐストを構えたのは生きるためだった。当時、若き労働者の先頭に立ってアジった私は、村人から石を持て追われた。しかし後悔はしていない。父母の怒りは買ったものの、子どもたちはストに出かける我々に手を振ってくれたし、今でも慕ってくれている。戦う正義は錆びつかないのだ。(詩愛好家)

かっさんの自己中エッセイ891

よいことは三日と続くわけはない。もう次の日は二つの不幸に襲われた。一つ目。調子が良いので6時過ぎから草刈りをしようと外に出ると、ナント、草刈り機の混合を入れる入口の蓋が取れてない。さては史郎さんが使ったかなと、史郎さんの車を調べるがない。四日前に草を刈ったところをくまなく探したが見つからない。史郎さんに電話を入れると使っていないという。二回、三回、と探して四回目、執念が実ったか、草を焼いた燃えカスのところに転がっていた。あったあったと喜んだが、頬をやけどして使い物にならない。結局、平和機工で買うはめになった。「いくらしたと思う?」と貞子さんがにらむ。二つ目。その日は田村委員長の話を聞く予定で、貞子さんに駅まで送ってもらった。着いてからあれこれ探し回ったが会場が分からない。待てよと、手にしたチラシを見ると、ナント会場は勝目の方だ。慌てて、公衆電話で、貞子さんに、かつひろさんに、一回、二回と助けを求めたがつながらない。タクシーで行こうかと思ったが、小銭がパラパラ。どうにか「くるくるバス」のバス代があって、30分近く待って、しょぼしょぼと帰った。どうやらその日は動かないでじっとしていろという、神の命令だったかもと、自分を自分で慰めた。昨日がさわやかな風が吹いただけに、今日の風はむんむんするほど暑かった。ついでにだが、SSプラザには公衆電話はない。しかし、10円出すと事務室の電話が使える。これは大変な発見だった。(詩愛好家)

かっさんの自己中エッセイ890

17日。高市政権のむちゃくちゃ国会の会期末。その日私は爽やかな疲れを感じた。一つ目の疲れはスタンデイング。これは、支部長代行と地区委員長の合作による、党中央委員会への手紙の返事に感動したもので、手紙の読み合わせの後、よし、うちらも行動しようと立ち上がったものだった。お迎えは7時半近く、支部長代行の車。スタンデイング場所に着くと、すでに3名の姿があった。その仲間に入り川内高校の校門前に立つと、ちらちらと高校生の姿。川内高校は私の母校で、孫二人もお世話になった学校。「おはようございます。戦争に反対しましょう」。声をかけると、笑みを浮かべながら反応する若き高校生。弱った足で一時間たち切れるかなと思っていたが、バスからぞろぞろ降りてくる高校生に励まされ、声を出し続けた。終わって支部から出されたペットボトルの水が爽やかに、心地よい疲れとともに流れる。二つ目は、入来へのドライブ。連れ合いの用で久しぶりの遠出。ここでも疲れを感じたが心地よかった。三つめは生協前で出会ったTさん。ここでは「かっさん」の声で、猛暑が吹き飛んだ。女の人の顔は、その日その日で変わるから、会うといつも「!」となる。その日も、「Tです」と言われるまでは声をかけられても気づかなかった。ああ、児童クラブのTさん。私を笑顔で支え、励ましててくれた人。あまりの若い姿がまぶしかった。こうしてよぼよぼのおじさんは、三つの爽やかさに元気をもらった一日だった。(詩愛好家)

かっさんの自己中エッセイ889

昼前、ぼ-っとしていると、電話が鳴った。「もしもし、中俣勝義さんですか」「はい」「ご本人さまですか」「はい」。「実は」で切り出された内容は、5月に新聞に載った詩の「妹背たかしさん」とお話をしたいので、電話番号を教えてくださいと問い合わせがあったのですが、教えてもいいですか、というものだった。相手が南日本新聞社だし、詩が載ったのも事実だし、これは詐欺ではないと思ったので、「はい、いいですよ」と返事した。そこで電話を切って数分も経たないうちにまた電話。出ると、先ほど新聞社に問い合わせされた方みたいで、「妹背たかしさんですか」と問いただした上で、「私は7人の✖聞き取れず不明)の集まりをしているもので、妹背さんにおいでいただいてお話をしてもらいたいのですが」と話された。ウームと私はうなった。これはトイモガラのご利益のせいだぞ、それにしても早すぎる。「いいですが、電話では私耳が悪いので、内容についてお手紙でもくださればありがたいのですが」というところで受話器を置いた。中俣はともかく、「妹背たかし」で名前が売れるのも考え物だぞと、あれほど「妹背たかし」を売り込んでいるのに、ここに来て迷惑な話だと思った。これを書いているときまでにはまだ手紙は届いていない。手紙を読んで内容を確かめ、ぼくにできるかどうかを判断したいと思っている。最近、舌の回りも悪いしな。それにしても二つの名前を持つとうかうかできないと思うことだった。(詩愛好家)

かっさんの自己中エッセイ888

8,8,8。なんとも縁起のいい数字の並ぶ今回の記事。私のパソコンで、エッセイが888回目を迎えたのだ。そこで縁起のいい話。昨年も記事にしたかもしれないが、畑のトイモガラに花が咲いたのだ。トイモガラとは鹿児島での言い方で、正式にはハウスイモというあか抜けた名前を持つらしい。しかし人気がない。私の郷里の野町の旅籠では、貧しい食事の代表として、「といもがらんみそ汁」とさげすまされていた。そういえば今は見当たらないが、最近まで、野町のどの家庭にもトイモガラが植えてあった。私の家でもそう。また、見かけだけで役に立たないということで、「いもがらぼくと」というありがたくない名前まで頂戴している。しかし、煮しめにするとしゃきしゃきしておいしい。私は小さいころ母が作ったトイモガラの煮しめが好きで、ごく最近、庭先に捨ててあったトイモガラを一株もらって畑に植えた。それが立派に育ち、昨年、今年と花を咲かせてたのである。これもパソコンによると花が咲くのはごくまれとある。父などは、十年に一度、咲くか咲かないかと言って、咲けば吉兆をもたらすと小さい私に教えてくれた。なるほど、昨年の花は、私を美しい人に出合わせ、詩の大賞にまで導いてくれた。今年はどうか。花を切り取って飾り、自己流の煮しめにして食べている今日、果たして幸せをもたらすだろうか。美しい風景に出合うだろうか。雨に打たれてひときわ白さの目立つ花を見つめながら、私の胸は今ときめいている。(詩愛好家)

かっさんの自己中エッセイ887

夏が普通の顔してやってきた。もう少ししおらしく「夏ですよ」と、耳元でささやきながらやってくればいいのに。まあ、自然現象だから仕方ないか。それにしても春は、春らしい気分を味わうことなく、あっけなく去って逝った。なかでも五月はひどかった。四月下旬の、NHKの取材にかき回されているうちに、ポロッと、歯に被せていた銀が取れ、それはいいとして、その銀まで行方しれずとなって、おかげで六月まで歯医者に通った。世間は、やれハワイだの、帰省だのと騒いでいるのに。おまけに、メタボ検診の結果が届いて、血尿がプラス3。泌尿器科に行かれて再検査された方がいいでしょうと、係りつけのお医者さん。こちらの方は、血液検査、腎臓のエコーと、二日で無罪放免。あげくの果ては、緑内障の薬が切れて眼科へ。世の人びとは、観光に、豪華な食事にと、お金を使っているのに、こちらは医療に莫大な、といっても数万円だが遣って、くたびれ果ててしまった。今でも俺に春はあったかなあと、ボーと考え込んでいる。春と秋が縮んで、夏と冬が大きな顔をするようになったと気象庁は騒いでいるが、そのせいもある。これには、老いの身には堪えるのだ。冬は冬で風邪を引くし、夏は夏で熱中症。昔みたいに、春と秋でのんびりと命の洗濯とはいかなくなった。これとて、マルクスの言う、資本主義の危機なのであろう、次に訪れるであろう、豊かな自由の国を準備している傷みなのである。そう考えると少しは納得、我慢できる。(詩愛好家)

かっさんの自己中エッセイ886

眼科に出向いて、薬局にクスリ貰いに行ったら、レジをはじきながら「”ひろば”のなかまたさんですね」と、娘さんが丸い目で笑顔を向けた。ええ、と言いながら、”かつよしさんはもう賞味期限切れでよぼよぼですよ”と言いたくて、”妹背たかし”で詩を書いているんですよ、と胸を張った。それにはことばがなくて、娘さんの首がけげんそうに少しだけ傾いた。外は小雨で、雨に濡れながら、どうして”妹背たかし”は有名にならないのだろうともどかしい気持ちだった。それから一週間後、歯科に行くと、お医者さんの奥さまが受付にいて、「ああ、なかまたさん。”ひろば”に出ていましたよ」と、新聞の切り抜きをひらひらとかざされた。しかも、お金を払って出るときは、「なかまたさん」と、いかにも切り抜きを持って帰って欲しい風だった。切り抜きを手にして医療費が安くならともかく、そんなかび臭いものをと思って、「私ね、”妹背たかし”で詩も書いているんですよと」と、ここでもやんわりと言った。しかし、どうも”妹背たかし”は芳しくない。いっそのこと背中に”妹背たかし”の看板でも背負おうかと思ったが、あまりにも大人げないので、三日後に行くとき、”妹背たかし”の詩が載った切り抜きを持って行こうと、今、コピーし、準備している。薬局の娘さんとこへ行くのは三カ月後だから、その間に届く詩集を持ってあいさつしようと思っている。まっ、おじさんの詩はまずいので有名にならないのは分かるが。(詩愛好家)

かっさんの自己中エッセイ885

昨今の高校生の、トクリュウ犯罪にいとも簡単に手を染める問題を考えるがよい。私にしてみれば、多感な中高時代に、いかに生きるべきかを考える教材を失ったからだと考える。聞くところによると、自分の生活を見つめ、他者と共感しあう生活綴り方(生活文)が教科書から消え、いかに生きるべきかを問う文学文が消えた。代わりに増えたのは、情報操作を巡る作文であったり、そうした物を扱う教材である。私は鬱屈した高校時代、川端康成の『伊豆の踊子』に出合うことによって視界が開け、文学へのあこがれとともに、いかに生きるべきか真剣に自分に問い、国語教師の道を選んだ。卒論は川端康成であったし、学生時代、湯ヶ島から湯ケ野の天城峠を歩いたり、退職のとき頂いた祝い金で、連れ合いと伊豆観光に出かけたりと、踊り子を通しての私の人生探求はとどまることを知らなかった。今でもそうだが。また文科省は社会に出るための予備知識をきちんと教えることも考えるべきでもあろう。私は専門学校で「多喜二」を教えるまでは、憲法が国家権力を縛るものとは知らなかった。小さいことだが、年休、特休の取り方は全くの無知で、組合の先輩教師から教えられて、こんな素敵な法律があるのかと驚いたものである。生きづらさで短絡的思考に走る高校生を救うには、もはや時間的余裕はない。いかに生きるか考える中高生を育てることは急務であろう。(詩愛好家)

かっさんの自己中エッセイ884

辺野古沖転覆事故で、同志社国際高校の女子高生が亡くなったことは痛ましいことだが、これによって、平和教育への攻撃が激しさを増すのではと危惧していた。が、22日の文科省の教育基本法に反するという見解は、まさにその通りとなった。私は現職のころ、新聞の記事を使いながら、イラク戦争について子どもたちと学習をしていたとき、「イラク戦争には賛成の人もいるわけだから」と校長から指導を受けた。まさに教育に関する不当な介入である。私はすぐさま、先生は戦争に賛成ですかと反論したが、校長はそれに対して一言も答えなかった。今もそうだろうが、そのときは隙あらばと、平和教育への弾圧を文科省(当時文部省)は狙っていたのだ。冬休み、夏休みの友への攻撃も、長崎、広島の先生方による8・6、8・9登校もそうだ。鹿児島でも出校日を8月1日、21日に限定せず、6日なり9日にして、原爆被爆者に学ぶべきではという当然の主張を弾圧したのである。まさに今回の転覆事故を、鬼の首を取ったかのように喜んでいる不当な輩がいることを私たちは忘れてはなるまい。高市一強内閣の平和教育への弾圧は、これからも激しさを増すであろう。それはまさに、憲法改悪へと紛れもなくつながっている。”きずな”は憲法改悪反対の入来や川内の行動を記事にしていたが、本当に励まされた。足がないので思うまま動けないが、こうした行動を、私は心から支持し励ましたい。弾圧にめげず、高市退陣までみなさんとがんばりたいものだ。(詩愛好家)