かっさんの自己中エッセイ875

『文化薩摩川内』が発刊された。編集・校正に携われた事務局の方々の苦労は、毎回のことながら大変なことだっただろうと思う。それに比べると、私なぞ、編集手当をもらうのも恥ずかしい限りの仕事ぶりだ。それはさておき、今号の圧巻は、『倉野の民俗芸能「奴踊り」』だろう。執筆された太田純一さまの熱量に深く感謝したい。私は幼少のころ、父の肩車からこの「奴踊り」を見た記憶があるが、怖さとともに驚きがあって、それ以来、なぜ田植えのときにこんな踊りをするのだろう、しかも遠く倉野の人がやるのに何か由来でもあるのかとずっと疑問だった。それが今回、膨大な資料とともに解き明かされ、改めてその歴史の深さを知ることにもなった。これこそ「薩摩川内の文化」である。前号には「大綱引き」のことも書かれていた。ほかにも中津川の「金吾さあ」の踊りとか、東郷の「人形浄瑠璃」の由来、歴史なども、編集委員の一人として取り上げていきたいと思っている。わが郷里の「虚無僧踊り」もそう。『文化薩摩川内』の冊子がただ単に、俳句や詩、短歌の愛好家だけのものになってはいけないし、また旧川内市に偏ったものになってもけない。俳句や詩になじまない人であってもこれを紹介したいと、野に埋もれた人を見出し、積極的に投稿できる冊子にしたいものだ。合併によって広がりと豊かな薩摩川内市となったことを踏まえ、総合的に文化を語る文芸誌にしたいもの。そういえば甑島の「トシドン」もある。(詩愛好家)

かっさんの自己中エッセイ874

「かつよしさんは金持ちだ」といったのは集落の前会長。小さいころ、「かっさんげえはぶげんしゃドンだ」と言ったのは幼なじみの親戚の子。しかし、私は、昔も今も「金持ち」ではない。大学は兄の援助と奨学金で出たし、今もそうお金があるわけでもない。金持ちと言われて、小さいころはうれしかったが、今では気持ちが暗くなって、申し訳ない気持ちになる。私は今でも財布一つ持たない。だから私のことを「金持ち」という人がいれば、その人のことを思い淋しくなるのだ。必要な品は奥さまにお願いし、連れだって買い行く。ただ思い当たるのは、昔も今も、屋敷が広かったし広いし、住む家も大きかったし大きいだけのこと。これは「物持ち」(親戚の子が言った、ぶげんしゃ)ということばに当たる。わずかな貯金もすべて、この「物持ち」のために引かれていくのが現状だ。貯金とてもガンと同じで余命いくばくもない。そんな思いでいるから、土地や家を、早く子どもたちに譲って、亡くなった両親みたいに、のほほんと生きていきたいといつも思っているが、子どもたちはそんな親の気持ちも知らないでのほんとしている。それにしても、富の不公平には腹が立つ。富裕層はますます富を蓄え、我々庶民はその日の買い物にも苦労する。分断と対立の解消とはまず、富の分断と対立こそ解消すべきではないか。お金持ちは民の貧しさをよそに武器を買い、戦争をしたがる。トランプさんはその典型だ。軍拡に力を入れるのもお金持ちの保守層だ。(詩愛好家)

かっさんの自己中エッセイ872

2月の7日、8日はドキドキ感と恐怖感が混じって、なかなか落ち着かなかった。ドキドキ感はもちろん党の躍進を期待するもの。恐怖は高市突風に吹き飛ばされないかという思いであった。7日はテレビニュースを見たかったが、いつもの通り午後8時に床に就いた。夜中にトイレ立ったとき、気になってテレビをつけると、自民党圧勝と出ていた。その後は心配であまり眠れず、いつものように4時に起きた。15分には朝刊が届く。テレビをつけると、共産党3と出ていて、残が1。その残り一つに共産党が滑り込んでほしいと思いつつじりじりと4時間待って、ネットに詳しい北支部代行のOさんに電話を入れた。Oさんも確認中とのことで、そのまま外に出て居間に上がると、Oさんからの電話が入ったみたい。折り返し電話を入れると、塩川さんが入ったということでほっとした。中道は三分の一の落ち込みよう。かつて社公合意で社会党が衰退したように、立憲も公明党と組むことによって凋落していくのか、その予想がズバリだった。それにしても、護憲の党が振るわなかったことに危惧を覚えた。固定電話がどこも携帯に切り替えられ、対話ができなかった私のふがいなさにも落ち込んだ。そんななか、「戦いは終わっていません」という出水市議選の選対ニュースに励まされた。そうだ、がっかりでは済まされないぞと気持ちが明るんだ。地方から革新の火の手を上げないとという思いで、私に残された時間は少ないが、それでも元気を出している。(詩愛好家)

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かっさんの自己中エッセイ873

政治が右へ右へと大きくカーブを切って流れていく。当然のことだろう。戦争を知らない世代が国会議員となっていくのだから。議員先生たちは胸をそらしても、学校で近現代を教えてもらっていないし、たとえ教えられても、原爆で数十万人死んだという被害者意識だけ。これでは左を向きようがない。戦争を知らないと言ったが、うちの孫が「戦争を知らないから知覧に行く」といったのには驚いた。家族4人で出かけて行って、「じいちゃ、じいちゃを襲った機銃の弾はもうないの」と上の孫が言ったのにも驚いた。「これはね、一歳にも満たないじいちゃを狙った機銃の弾だよ」と言って渡したのに。それを失くすとは。私の戦争体験を語るに、ふーんとだけ聞いて感動しなかったのだろう。しかし、知覧で戦争の重みを感じたのだ。それは一歳にも満たない私が、12年上の兄の背に負ぶわれていたときのことだった。「タカノイ(兄)、井戸塀に隠れろ」という父の叫びとともに、グラマンが低空で私たちを襲ったのだ。グラマンが去ったあと父は、庭に落ちていた機銃の弾と薬莢を拾い神棚に置いた。考えもない私はその薬莢でピストルを作り(当時遊び仲間ではやっていた)、弾は手に転がして遊んでいた。薬莢はその後、警察の捜索が入ると聞き、土深く埋め、弾だけが私の手元に残った。それを戦争を語ったつもりで渡したのだったが。これからも戦争を語る必要はあるがそれ以上に、軍事費を削って暮らしにと、訴え続ける方が実感があるであろう。(詩愛好家)

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かっさんの自己中エッセイ872

2月の7日、8日はドキドキ感と恐怖感が混じって、なかなか落ち着かなかった。ドキドキ感はもちろん党の躍進を期待するもの。恐怖は高市突風に吹き飛ばされないかという思いであった。7日はテレビニュースを見たかったが、いつもの通り午後8時に床に就いた。夜中にトイレ立ったとき、気になってテレビをつけると、自民党圧勝と出ていた。その後は心配であまり眠れず、いつものように4時に起きた。15分には朝刊が届く。テレビをつけると、共産党3と出ていて、残が1。その残り一つに共産党が滑り込んでほしいと思いつつじりじりと4時間待って、ネットに詳しい北支部代行のOさんに電話を入れた。Oさんも確認中とのことで、そのまま外に出て居間に上がると、Oさんからの電話が入ったみたい。折り返し電話を入れると、塩川さんが入ったということでほっとした。中道は三分の一の落ち込みよう。かつて社公合意で社会党が衰退したように、立憲も公明党と組むことによって凋落していくのか、その予想がズバリだった。それにしても、護憲の党が振るわなかったことに危惧を覚えた。固定電話がどこも携帯に切り替えられ、対話ができなかった私のふがいなさにも落ち込んだ。そんななか、「戦いは終わっていません」という出水市議選の選対ニュースに励まされた。そうだ、がっかりでは済まされないぞと気持ちが明るんだ。地方から革新の火の手を上げないとという思いで、私に残された時間は少ないが、それでも元気を出している。(詩愛好家)

かっさんの自己中エッセイ871

ぼくの身体は、すっかり人さまに迷惑をかける体になってしまったようだ。ようだと書くのは、本人に少しもその自覚がないからだ。迷惑と思い込んでいるのは貞子さんその人。だから彼女は、ぼくの迷惑を人さまに背負わせないで、自分で抱え込んでいる。ぼくはぼくでそこまでしないでもと、気を使いクタクタだ。例えば、支部会議には、乗せてくださる方もいる。すると、迷惑をかけるから断りなさいとくる。送ってまで下さるのに、必ず迎えに来る。時間通りきっちり来るから、その時間が迫ってくると、もっと居たいのに、でも彼女に迷惑をかけられないとお尻がむずむずする。こんなことでは痔が悪くなりそうだが、今のところ大丈夫だ。しかし、彼女の気持ちが分からないでもない。病気がひどい時には引きずるようにして、トイレまで運んでくれた。そのイメージがあるから、今の姿は彼女にとっては疑わしいのだ。おかげさまで貞子さん、ひざを悪くしてしまった。お父さんにさせるわけにはいかないと、やったことのない草刈り機まで使って堤防の草刈りをしたからだ。二人いると、どちらかにがたが来ると、もうひとりの方にガタガタとがたが来る。夫婦二人のバラスが崩れるのだ。今は、崩れたバラスをどう立て直し生きていこうかと考えている。姉たちには独り身の人が多い。ぼくは彼女一人置いて死ぬわけにはいかないと、崩れかけたバランスに息をしている。どうしたらいいか。解けない方程式に迷惑が絡んでやっかいだ。(詩愛好家)

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かっさんの自己中エッセイ870

ぼくらが住む村から川内市につながる道を「中道(なかみち)」と呼ぶ。左右は田んぼが広がり、ぼくらはその道を歩いて川内北中、川内高校に通った。それこそ辞書通りの「中道(真ん中の道)」。道はバス一台がようやく通るぐらいの狭さで、途中二か所に、湾曲した「よけ場」が設けてあった。バスが通るとそこによけてバスをやり過ごし、それができないときは田んぼのなかに駆け込んだ。この「中道」にもう一つの呼び名がある。「ちゅうどう」がそれで、辞書的な意味は「極端に走らない中正(立場が偏らず正しいこと)の立場」ということになる。この「なかみち」ならぬ「ちゅうどう」を掲げた政党が、国会解散を前にして現れた。立憲民主党と公明党との合体がそれである。果たして、政治の世界に中道があるのか。あるとすれば、財界本位の政治か、アメリカ言いなりの政治かということではないか。ぼくらが通った「なかみち」は、春は菜の花、秋は黄金の稲穂が左右に広がり、まさに「なかみち」だった。「ちゅうどう」は偏らない道だという。だったら左右に広がる景色は何なのか。財界にも、アメリカにも偏らない政治がありうるのか。国民の生活を中心に置くというが、その生活も、財界やアメリカの影響を受けている。防衛費の増額や、株式本位の経済がそれである。政治の世界に、財界よりか、アメリカよりかはあったとしても、「ちゅうどう」はあり得ない。今度の選挙。ありえない世界に惑わされてはならない。(詩愛好家)

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かっさんの自己中エッセイ869

わが支部でも、『赤本』の学習が盛んだ。私は若いころから、マルクス資本論の三つの源泉、経済学、哲学、革命論のなかでも、哲学が好きで、弁証法からは様々なことを学んできた。そのなかの「否定の否定」は、強烈な印象を受けた。『赤本』でもそれは「現存するものの肯定的な理解のうちに、その否定、その必然的没落の理解を含む」と出ている。それはそのまま学級経営の哲学ともなった。いま学級は荒れていて否定的状況にあるが、その中に肯定的理解を含む。つまりどんな子どもでも、どんなに荒れた学級でも、そこには成長発達の芽があり、発展的に成長していく過程があると理解し、自分を励ましがんばることができたのだ。東郷中では、80センチ近い大ボスのK君にもそのような気持ちで接した。卒業式には短ランで参加し、校長の叱責を買ったが、私はそれはそれでよしと認めた。その彼は、卒業後、社会人になっって、ビールを提げ友達と遊びに来た。私は成長した彼にうれしかった。また、樋脇中では、私を一日だけ登校拒否にしたM君は、今ではダンプ数台も抱える会社の社長になっている。彼からは同総会に呼ばれ、そのたくましい姿がまぶしかった。人は誰でも悪くなろうと成長する者はいない。人間社会だって悪化する姿を望まない。そこには必ず、よき姿で成長しようとする深部の意志がある。我々はそこに依拠し、諦めない姿が大事だ。軍拡の高市政権でもそう。深部の力は必ず働く。今度の総選挙でも。(詩愛好家)

かっさんの自己中エッセイ868

昨年暮れ、石ころの女の子に会い、買い物袋の女性に声をかけられ、児童クラブの保護者の方に「かっさん」と呼ばれ、足は地についていても、何かきっといいことあるぞと、フワフワした温かい気持ちでいると、なんと、北九州文学協会の詩の部門で「大賞」を頂いたのだ。びっくりもし、うれしかった。祝いのメールが全国からといっても、関東と九州から、ドサッといっても5通ほど届いた。かつて、赤旗に詩が載ったとき、感動されたMさんもきっとビックラされたことでしょう。へたくそでも続けるもんだなと。また、14日には、県内の詩や小説を書く文学愛好家が集まって、ささやかなお祝いもしてもらった。といっても本筋は、『詩創』発行60号のお祝いが主で、私の祝いは豚のしっぽだったが。そしていいことに、年明けに、息子の史郎さんから初めてお年玉をもらった。娘の亜紀さんからは、ちょっと古いのですけどと、防寒着が届いた。なんでも会社から旦那さんが頂いたものだという。年明けにはそれを身に着けて初詣に出かけた。昨年の2月、3月は死にかけた手術を二回も受けたが、それを乗り越え、生きて来た。やっぱり生きているといいことがある。世の中では現役世代と高齢者を分断し、高齢者を迷惑だとばかり排除しようとする動きもあるが、どっこい、生き抜いて、現役世代もリタイア組も、楽しく生き生きとできる社会を作りたい。そのめに、まず軍拡反対の旗の下、今年もしなやかに生きていきたい。 選挙も近い。(詩愛好家)

かっさんの自己中エッセイ867

「今年も”きずな”を通して、よりいっそう心温まる、楽しいエッセイを目指して頑張りたいと思います」。と、あえて書いたのには理由がある。昨年の『文化薩摩川内市』の、最後の編集会議のときのことだった。「先生の書かれる記事は面白くて楽しみにしています」と、かねてからお世話になっている中央図書館の館長さんから声をかけられた。前にもそんな話を聞いたことがあったが、『文化薩摩川内市』に書いている記事のことかと思って、「いえいえ」と軽く聞き流していたがそうではなく、”きずな”のエッセイのことだと、その時の話の内容で分かってドキッとした。館長さんは温厚な紳士然とした方で、こんな方まで熱心に”きずな”を読んでいらっしゃるのか、これは油断ができないぞと思ったのである。”きずな”は維新の会に言わすれば政党機関紙となろう。ところがそうではなくれっきとした普通の小さな新聞だと思っている。だから党のことも書くが、それ以上に、日常のありふれたことも書く。特に私は小さいころから、人を見て、その人の生活のありようを想像するのが好きだった。ああ、この人は田舎に住んでいて、子どもが5人いるなと勝手に想像し、物語を創っていく。そうすれば電車の旅も楽しい。年末の「石ころの女」もそうしたなかで生まれた。盗撮なんてよこしまなことは考えない。素敵な女性に出会っても眺めて思いにふけるのが一番いい。想像力の貧しさが盗撮を生むのだ。(詩愛好家)