春夏アコ旅から販売している「幸せユキノ丼ぶり」
![幸せユキノ丼ぶり_POP.png](https://obs.line-scdn.net/0hrDnzoTCCLWtTAwfMDgJSPCdeKwQqYDdjOXs6USZVJ0UmbzprO3k9XSxTKAMiYyJ5NT09U2oLMC04czF1JBViTz1LJiU3QD5qCjllfi5jK1p8VBNCKXliCXIEc1p4MW48b20wX3YGd1g7MmJqPWNkCHE/small)
一週間後からスタートする秋冬アコ旅でも、販売しちゃいます!
でね。
この丼に特典でついてる、中嶋家特製「TANSUCHAN」って一体。。
と思った方へ。
「TANSUCHAN」の説明をライブのMCでしていたんだけど、
名前がインパクト強すぎて「え、で、そのTANSUCHANって、なんなの?」と、
結局、謎が解けないままライブが終わる。。という事態が発生(笑)
なので、ブログで解説!!
このレシピは、私の広島の祖母が開発したレシピでね。
時は、1950年代〜1960年代。
当時は、桐たんすを、修理しながら使っていたのです。
ある日。
祖母「桐たんすの修理の人が来る前に、子供たちに何か食べさせないと!」
幼い頃の母「おーなーかーすーいーたー」
祖母「冷蔵庫に何があったかしら?豚肉と人参と玉ねぎと卵ね。。ふむ。。」
その冷蔵庫の残り物で、祖母は、ちゃちゃっと炒め物を作り、ご飯の上にのせました。
祖母「さて、食べて食べて!」
幼い頃の母「いただきまーす!わ!美味しい!!!」
そうです、衝撃の美味しさだったのです。
後日、母は、その味が忘れられず、
「あの、たんす屋さんの時に作ってくれたやつ、食べたい!」と言うようになりました。
なので、祖母は、その料理を名付けて「たんす屋さん」としました。
母は、その後成長し、大人になり結婚をして、姉と私を出産。
そのレシピを受け継ぎ「たんす屋さん」ではなく「たんすちゃん」と改名。
母「今日のお昼は何にしよう?」
幼い頃の私「たんすちゃんが食べたい!」
時には学校のお弁当に、どん!と、たんすちゃんが入っていることも何度もありました。
とても美味しいので、たんすちゃんの日は、なんだか嬉しかったり。
私は、その後成長し、大人になり歌手となり、自分のオリジナルグッズを作るようになりました。
私「今回は、スープ皿なんてどうでしょうか?」
スタッフ「 お!いいですね!前回の餃子皿みたいに、特典で中嶋家オリジナルのスープレシピは?」
私「ふむふむ。スープは、オリジナルのあったかなぁ。ふむ。あ!?!」
スタッフ「ほ?!」
私「丼ぶりのオリジナルレシピならあります!たんすちゃん!!! 」
と言うことで。
スープ皿の予定を、丼ぶりに変更。
私「ねぇねぇ、たんすちゃんのレシピ教えて〜」
母「え〜、なんで〜?」
私「今度のグッズで特典にしたいから」
母「え〜〜〜〜〜」
私「嫌なのかい?」
母「嫌じゃないけど、教えちゃったら、もう『たんすちゃん食べたい!』って言わなくなるじゃない」
少し寂しそうだった、母。
ううう。
しかし、祖母が母に作りかたを教えたように、母は私にも教えてくれました。
そして、4月から「TANSUCHAN」として「幸せユキノ丼ぶり」と共に、
みなさまの元へ、レシピが広まっていったのです。
![IMG_6085.jpg](https://obs.line-scdn.net/0h8fRESBiyZ0lvPEy7AHwYHhthYSYWX31BBURwcxpqbWcaUHBJB0Z3fxBsYiEeXGhbCQJ3cVZhQz05f1pkOhh-Z0JBcRkCTGBrWgUuLy1scHwaf3dLBkYoK0w9OH9CDScdU1J6eE84PngHDXBKU1MgLkw/small)
レシピをゲットしたので、たまに自分で作りますが、なかなか母の味にはならない。
なので、実家に帰った時にはまた「たんすちゃんが食べたい」と言うのでしょう。
秋冬アコ旅でも、丼ぶりと共に、このレシピが広まりますように!
一週間後からスタートする秋冬アコ旅でも、販売しちゃいます!
でね。
この丼に特典でついてる、中嶋家特製「TANSUCHAN」って一体。。
と思った方へ。
「TANSUCHAN」の説明をライブのMCでしていたんだけど、
名前がインパクト強すぎて「え、で、そのTANSUCHANって、なんなの?」と、
結局、謎が解けないままライブが終わる。。という事態が発生(笑)
なので、ブログで解説!!
このレシピは、私の広島の祖母が開発したレシピでね。
時は、1950年代〜1960年代。
当時は、桐たんすを、修理しながら使っていたのです。
ある日。
祖母「桐たんすの修理の人が来る前に、子供たちに何か食べさせないと!」
幼い頃の母「おーなーかーすーいーたー」
祖母「冷蔵庫に何があったかしら?豚肉と人参と玉ねぎと卵ね。。ふむ。。」
その冷蔵庫の残り物で、祖母は、ちゃちゃっと炒め物を作り、ご飯の上にのせました。
祖母「さて、食べて食べて!」
幼い頃の母「いただきまーす!わ!美味しい!!!」
そうです、衝撃の美味しさだったのです。
後日、母は、その味が忘れられず、
「あの、たんす屋さんの時に作ってくれたやつ、食べたい!」と言うようになりました。
なので、祖母は、その料理を名付けて「たんす屋さん」としました。
母は、その後成長し、大人になり結婚をして、姉と私を出産。
そのレシピを受け継ぎ「たんす屋さん」ではなく「たんすちゃん」と改名。
母「今日のお昼は何にしよう?」
幼い頃の私「たんすちゃんが食べたい!」
時には学校のお弁当に、どん!と、たんすちゃんが入っていることも何度もありました。
とても美味しいので、たんすちゃんの日は、なんだか嬉しかったり。
私は、その後成長し、大人になり歌手となり、自分のオリジナルグッズを作るようになりました。
私「今回は、スープ皿なんてどうでしょうか?」
スタッフ「 お!いいですね!前回の餃子皿みたいに、特典で中嶋家オリジナルのスープレシピは?」
私「ふむふむ。スープは、オリジナルのあったかなぁ。ふむ。あ!?!」
スタッフ「ほ?!」
私「丼ぶりのオリジナルレシピならあります!たんすちゃん!!! 」
と言うことで。
スープ皿の予定を、丼ぶりに変更。
私「ねぇねぇ、たんすちゃんのレシピ教えて〜」
母「え〜、なんで〜?」
私「今度のグッズで特典にしたいから」
母「え〜〜〜〜〜」
私「嫌なのかい?」
母「嫌じゃないけど、教えちゃったら、もう『たんすちゃん食べたい!』って言わなくなるじゃない」
少し寂しそうだった、母。
ううう。
しかし、祖母が母に作りかたを教えたように、母は私にも教えてくれました。
そして、4月から「TANSUCHAN」として「幸せユキノ丼ぶり」と共に、
みなさまの元へ、レシピが広まっていったのです。
レシピをゲットしたので、たまに自分で作りますが、なかなか母の味にはならない。
なので、実家に帰った時にはまた「たんすちゃんが食べたい」と言うのでしょう。
秋冬アコ旅でも、丼ぶりと共に、このレシピが広まりますように!
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中嶋ユキノ TOUR2019
「秋冬アコ旅〜Seven Notes〜」
10月10日(木)仙台darwin(宮城) チケット一般発売中!
10月21日(月)札幌KRAPS HALL(北海道) チケット一般発売中!
11月4日(月祝)福岡ROOMS(福岡) チケット一般発売中!
11月14日(木) 広島LIVE VANQUISH(広島) チケット一般発売中!
11月26日(火)名古屋ボトムライン(愛知)
12月4日(水)下北沢GARDEN(東京)
12月12日(木)梅田バナナホール(大阪)
ボーカル 中嶋ユキノ
パーカッション 若森さちこ
ギター 門馬由哉
キーボード 宗本康兵
http://nakajimayukino.com/liveschedule/tour2019-seven-notes-20190726
ボーカル 中嶋ユキノ
パーカッション 若森さちこ
ギター 門馬由哉
キーボード 宗本康兵
http://nakajimayukino.com/liveschedule/tour2019-seven-notes-20190726