私の父親は、昭和一桁生まれの人でした。
なかなかの手強い頑固者です。
志願して戦争に行って、特攻隊に入ったと小さな頃から聞かされていました。

私の小さな頃は、まだ右翼左翼という言葉もあり、池袋の隣の千川には、千早城という、全学連のお城もありました。

こんな話をしても知っている人は、だんだんと少なくなりました。というより、同級生とも子供同士ではそんな話はしたことはありません。

私の父親は、普段から血の気が多く、車の中には何やらナイフみたいなものを置いて、身の危険を守る人でした。

私も今でこそ社会に出て色んな人と出会い私の家は普通ではなかったのかもと思いますが、子供というのは親が全てで、親のやることが普通です。
そんな事が普通だと思っていました。

今でも覚えていますが、渋谷の甲州街道と明治通りの交差の柱に赤旗のチラシが貼られていて、赤尾敏!とか書いてありました。
それが良い事なのか、悪い事なのか子供心にはわかりません。
きっと、インパクトがあったからいまでも覚えているのでしょう。
あの頃は、そこら中にチラシが貼ってありました。