SNSに限らず、書は自由ですよ。
ただ自由には責任が伴うし、技術もないのに自由に書いても、人はそれを評価することはないかもしれません。
まずはしっかり稽古、書写的なものも含めてしっかり稽古して、師事している先生、先輩などの意見に耳を傾け、素直に謙虚にその意見を取り入れる。基本的な技術をしっかり身につけて、自分の書というものを開拓していく。
基本的な技術、そんなに簡単には身につかないかもしれません。自分がまだ教わるという段階であることをしっかり自覚してから自由を求めてはいかがでしょうか?
U-23の出品者に対して会派の書を書け、と創作活動を束縛するなんてことは、少し考えにくい。作品に対して何か言われたのであれば、それは本当の意味で上達してほしいからだと考えるほうが妥当だと思う。
会によっては展覧会における審査員の資格を取るまで、昇段級で師範クラスまで段位が上がるまで教室をしたり、人に教えたり、デザインなどの仕事をすることを認めない会派もあるでしょう。
それはまだ未熟な段階で教えたり、デザインの仕事をしてしまえば、間違った知識や技術を広めてしまうかもしれないからだと考えられる。
書道ってのは20年、30年、40年稽古しても気づかないことがあったり、どれほど勉強し、稽古を積んでも足りないと思うほど突き詰めることのできるものだと思う。
いまもし『自分はこんなに稽古しているのに!!』と思っているのでしたら、それは書道に限らず、物事を甘く見すぎているかもしれません。
今の書壇は上流階級の世界そのものという意見に関しては、上流階級の基準が曖昧過ぎて意見するのは困難ではありますが、、、
講習会や練成会などには当然費用が掛かります。
会場費や昼食代、講師で来てくださる先生の交通費などかかります。
参加されている受講生の方々は、計画的に参加費を用意しているはずです。
自分が参加できなかったからといって自分の所属する会が運営している講習会や練成会を非難するような発言は控えるべきだと考えます。運営している人がそれをみたらどう思うかも考えるべきかもしれません。
受賞者がトップレベルの先生方とお話でき、そういう方々がどんどん上へと行く、、、なんて意見もありますが、そんなに甘いものではないです。
去年U-23毎日賞を受賞されて、表彰式、祝賀会などで高名な先生とあいさつをしたり、お話させてもらったりしても、今年の審査ではそんなことは関係がないことです。
もし周りに連続で受賞された方がいたのであれば、その方の稽古量、葛藤、苦悩、その先生の指導、などを軽視するような発言は控えるべきかもしれません。
また祝賀会の多くは入選入賞祝賀会となっていることが多いので受賞されなかったとしても、受賞された自分の所属している会の先生方に『おめでとうございます』というために参加されてみてはどうですか?
その際に、あなたが言うトップレベルの先生方にも会えるかもしれませんよ。
書は人なり、という言葉がありますが、、、確かに人としての根幹がしっかりしてないといい作品も書けないかもしれません。
ただまずはしっかり書くことが大事であることも事実です。展覧会場で人間性を見ることがありますか?基本的な造形などしっかり書けてからです。
書は人なり、確かに素晴らしい言葉ですが、この言葉は書道においては最後の最後ではないでしょうか?受賞されたかたの人間性をどうこう言えるほど、受賞された方のことを知っているのですか?
知りもせず、作品制作に対する姿勢も知らずに人間性について意見する。されたほうはあまりいい気分がしないかもしれませんね。
最後に
今の会派を離れる、離れないは自由だと思います。
思うままに勝手にしたらいい。
ただ紹介してくれた先生、現在指導してくれている先生の想いに気が付けないなら本当の意味での上達はないかと思われます。
きっとこんな文章も心には届かないでしょうが