北海道、そして久米島 | 中島武オフィシャルブログ「中島武日記」Powered by Ameba

北海道、そして久米島

北から南、日本列島縦断。
まず札幌で一泊。名寄から山梨君、そして名物和尚の田中清元さん。
二人とも拓大の後輩。
「先輩、美味いものを食べましょう」と。
それで札幌のすし屋たる膳に。いいですね。
でも、ちょっと気になるのは東京っぽく洗練されていること。
それと玉が江戸っぽい。
東京から来た者は、北のものを欲しがりますから…
食べて、呑んで札幌の寒さはどこかに…元気なオジサン達。
いつまでも先輩、後輩、不思議な仲です。
次の朝早く、中標津に。北の旅が始まりました。
空港に着きレンタカーを借り、小さな車で広い広い大地を走る。
牧草地、モウモウと牛の鳴き声が…
あぁ久し振りの北海道、知床。
目的地は知床、興農ファームの本田さん。
随分前からの約束で、恋しき人に逢う様な気分。
一日一緒に、牛に、農業について語り合いました。
どちらかというと本田さんの話を聞いていたのかなぁ。
黒のアンガス牛、ホルスタイン牛。興味一杯。
私は北の牛を眺めながら札幌でステーキ屋でも…と考えていました。
そして次の日、知床の早朝の気温-5度
朝の牧場を見て、羅臼、ウトロに…
北キツネに蝦夷鹿、ヒグマや大鷲に遭遇するかと
思いながら車を走らせることしばらく。
なんと大きな鷲。白羽根が入っている鷲が空に。
本当に驚きました。あぁ、やはり此処は北海道。
そして次は網走へ。
網走刑務所で扱う受刑者の作業作品の焼き物の器。
なかなかいいものがありました。
売店に売っている殆どを買わせていただきました。
それと鉄製の無骨な肉や魚を焼くストーブを…

オホーツクを見ながら「健さん~」と呼んでみた5日間の旅でした。

16日に東京に戻り家に1泊。
17日の朝、8:50の羽田発~那覇行、そして久米島へ。
久米島に1:30頃到着。気温は30度近く。
そのまま太田哲雄シェフの料理会の仕込み現場に直行。
急いで短パン、Tシャツに着替え、
前掛けをし、身支度を整えます。
中華包丁を手にしてさぁ参戦。そう、戦いに来たのではなくお手伝いに…
11/18の久米島の人々との食事会の為の準備。
私は中華包丁を振り上げ、豚の塊をぶった切る。
この包丁よき相棒なり。

島のお母さん達が私のチーム、A班。
A班の社長、社長と。私たちの社長とお母さん達が呼ぶ。
ここでもモテモテでしたが、
お母さん達、何を話しているのかさっぱりわからない。
久米島の方言は本当に難しい… お母さん達の笑顔…

私は今回の久米島は何の意図もなく、
太田哲雄君が頑張っているのを遊びがてら見物…そんなつもりでしたが、
「中島社長~、シークワーサー搾って~。」と。
皆で搾ったシークワーサーの汁を「社長、飲んだでしょ!」と…
とは言えども、そんなにガブガブ飲んでいるのではありませんが…
セビーチェに使うレモンの代わりになるシークワーサーは
大事な食材なのです。
私は黙々と罰を犯した子供の様にシークワーサーを搾りました。
それを見て皆一緒に搾ってくれました。
集団で何かをやるなんて学生時代の応援団以来、それも1,2年生時代。
後は偉そうな顔をしていました。
そんな慣れないものの楽しい久米島の料理の仕込み。

次の日は晴れ。食事会は夜の6:00からスタート。
それまではこの日も仕込みが続きます。
皆ボランティアで東京や熊本など各地から集まった人々です。
太田哲雄君に共感した人々が島の人々との楽しい食事会に集まりました。
食事会には島の高校生達も参加で大盛況。
私はやはり島のお母さん達の人気者…
頭の中には、昔、学生時代にサイパン島の台風の被害の復旧に行き、
毎日毎日作業をして自炊生活をしていた頃が…
ジャングルでヤシガニを取ったり、豚を潰して丸焼きにしたり。
あぁ、あの時…、と久米島が重なります。
太田哲雄君、島の人々、そして皆さんお疲れ様。
皆清々しい気持ちになった久米島。
食の喜びの原点を味わった気がします。
太田哲雄君、ありがとう!