≪≪ 学び続ける成長段階で学ぶ人は変化する ≫≫ | ネオヒロイズム ~あこがれが未来を創る~

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活動理念は
悠々自適な生き方を追求し、
憧れの輪を広げ、
自由と成長の経済圏を築くことで、
個々の人々が自分らしく輝ける社会を実現したいと考えています。



≪≪ 学び続ける成長段階で学ぶ人は変化する ≫≫



僕のルーツでもある


親鸞さんの教えを第3者からの視点で残してある
五木寛之著の「私訳 歎異抄」を参考に書いていきます




僕自身、仏教学者でも研究者でもなくごく普通の一般市民です

あくまでも自分が今まで生きてきた中での私見ですので
間違いがあるとは思いますがご了承お願いします






自分が生きてきた人生で経験し感じたことを綴っていきますね








あるとき、親鸞さまはこう言われたそうです


念仏を信じる者どうしのあいだで、この者は自分の弟子だ、
彼はあの人の弟子だ、などというような言い争いがあるらしいが、
それはまったくまちがったことである





親鸞さんは自分の弟子は一人のいないと思っているんですね








それなのにどうしてこういうことが起こるんでしょうか




煩悩がそう思わせているんですね


私たちには承認欲求があります
人は認めてほしいという想いを誰もが持っているんですね



弟子をとる人は自分が優れていて
この人を幸せにできるのは自分だけだと傲慢という煩悩に
心を奪われているからだと思うんですね




自分の考えが正しいとか
あの人より自分のほうがわかりやすく伝えることができるとか
自分のほうが理解しているとか
あの人より自分のほうが優れているとか






人は他人より優位に立とうとするんですね






宗教ではこういうことはよくあることのように思います





あの教えより
自分の教えのほうが優れていると認めてほしいんですね


だから自分の信者に対して占有の気持ちが出てきて
自分から離れるのか怖くて自分の弟子だという縛りをつけて
離れないようにしていると思います






自分から離れると悪いことが起こると脅すような人も
もしかしたらいたかもしれません






自分のことを慕ってくれる人が多いと気分もいいからだとも思います





人の心を誰も縛ることはできないと思うんですね






人が求めているものは幸せになることなんですね




幸せになるためには弟子をとることでも
弟子を縛り付けるものでもないんです






一人一人が自分の心の成長によって
学ぶ人は変わっていっていいんですね





一人の師匠の元で信心するのも
途中で自分が求めているものとは違うと思えば




変えることは自由なんですね







どちらにしても浄土へ行くという想いが強ければ
自分が求める教えに出会うことができるんですね



そして自分なりの答えを見つけることができるんです






誰もが幸せになりたい極楽浄土へ行きたいという想いはあると思います






そのための道は一人一人違うんですね


求めることは同じでも
生まれてから今まで同じ教育を受けてきたわけではありません
同じ環境で育ってきたわけではありません

同じ出来事を経験したとしても
その経験から感じることは一人一人違うんですね





人はたくさんの人との縁によって結ばれています
そして縁によって離れることもあります





親鸞さんも釈迦も
最初の教えとは違う方法で悟りを開いています




人里離れたところで苦行をすることで悟りを得る
ということをしていましたが




最終的には
人は人との関わりの中でしか悟ることはできないと
思ったんじゃないかって僕は思うんですね






人の悩みを救う道は
悩み苦しんでいる人たちがいるところで

何に悩み苦しんでいるのかを知ることが必要なんですね







どんなに苦しい修行をしようとも
世間から離れて何年も修行して悟りを得たとしても



人がどんなことで悩み苦しんでいるのかわからなければ
解決させることはできないと思うんですね




自分が経験したことからでしか学びは得ることはできないと思います






自分がたくさんの経験をしてきた中で
自分の内側から出てくる思考や感情と向かい合い





イライラしたりドキドキしたり胸が締め付けられそうになった時など
どう考えればこのモヤモヤした気持ちは晴れるのかとか


どんなキッカケで心が軽くなるのかとか



どんな風に自分の思考をコントロールすることができるのか




そんなことを第3者目線で自分自身を俯瞰して見つめ
自分の感情のきっかけを探すことによって




ある日、脳の回路が繋がり
「あっ こういうことなんだ」と心の底から理解するんですね







親鸞さんは自分の弟子は一人もいないと思っているんですね





一人一人がこの世に生を受けて生きるということは
あらゆる出来事や感じたことを受け止め
自分の意志で選択するということであり

どんな結果がおきてもそれは人生における経験であり

その経験から学び成長していくことだと思います





誰かの元へ学びに行くもの自分の意志であり
その人から離れるのも自分の意志なんですね



自分の人生は自分で創り上げていくことなんでしょうね






あなたはどんな人生を歩んでいってますか



 


最後まで読んでいただきありがとうございます

興味があったり少しでも気づきがあれば

「いいね」や「コメント」していただいたらうれしいですね
 

 

 

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