夏の合宿(新人研)に参加して、学舎(共同生活をする寮)での生活を始めました。

その時期の新人は、まだ伝道バリバリということはなく、信仰生活の心得や統一原理を学ぶという位置づけで、まずは教育部というところに入ります。

その時に受け持ってくれた教育部長の思い出を書きたいと思います。

(なお、この方はその後持ち上がりで学舎長になったため、長い期間お世話になりました。エピソードは教育部の間に限らずいろいろな時期のことが混ざっています)

 

新人研後しばらくは、幸せいっぱいで過ごしてきた私ですが、少しずつ、調子を崩します。

そこまで統一原理が自分に必要なものだと感じ切れていないので、信仰生活にも身が入らず、大学にもいかず、ぐずぐずしていました。

 

もともと、人よりも睡眠時間が長めに必要な体質であり(と自分では思っています)、遅寝早起きの生活は非常に辛く、同期の他の人たちがやりがいをもって生活しているのと自分を比較してしまい、自己卑下してイジイジすることが多かったです。

 

教育部長はユーモラスな方で、私が大学に行かず寝ていると

「○○兄、寝とる~~。駄目だよ授業でなきゃ~~」と励ましてくれました。

怒鳴りつけられたりということもなかったです。

他の脱会者の方も言いますが、一般の信者は裏表のない本当にいい人たちです。

 

一生懸命原理講義をしてくれたり、少ないであろう月給?の中からアイスを買ってくれたり、教育部だけでお出かけする機会を作ってくれたりと、いろいろと尽くしてくれました。

 

当時、文鮮明氏の三男のヒョンジン氏がCARPを受け持っていたころで、Core Valueというものを中心に、より世間からも受け入れられるように運動の形態を変えていこうとしていたようです。

それと同時に、食口(シック。統一教会信者のこと)自身が幸せでないのに、どうして世界を幸せにしていけるか?という価値観にも転換しようとしていたようです。

ただ、チャーチ(統一教会本体のこと)は古い文化が根強いので、若くて素直な大学生のCARPのメンバーを教育し、そこで育ったメンバーでチャーチや統一運動全体の文化を転換していくというステップを踏もうとしていたようです(少なくとも私はそう聞かされていました)

その影響かは分かりませんが、伝道や万物復帰(物売り)も無理強いされることはなく、なんとか前向きになれるようにとあの手この手で叱咤激励してくれました。

 

なお、原理研究会に入ると大学に来なくなる・行かせてもらえない、と反対派の人は言いますが、少なくとも私のいたときは、大学に行かなくなるのは本人の責任で、学舎長(学舎の責任者)はきちんと大学に行って単位を取りなさいと口酸っぱく行っていました。(学業をおろそかにして留年する人が多いという状況がヒョンジン氏の耳に入り激怒したとかしないとか・・・)

 

のちに、その方は拉致監禁され、脱会されたと風のうわさで聞きました。

どこかで元気にしておられるといいのですが・・・

 

~~~~~~~~~

 

「伝道されたきっかけ」を書いている最中ではあるのですが、どうしてもこの人のことを書きたくなりました。

書いている中でいろいろなことが思い出され、時系列で整理しつつ書き続けるのは、難しいです。

私の中でまだまだ、当時のことが消化しきれていないということなのかもしれません。