ご恵贈に感謝「底辺を思う気持ち」

 

 数か月前に送られてきた知人の著書「小説にみる大正・昭和の教育あれこれ」は早く読了したいと思いつつ少しずつ拝読しているが、なかなかそれが進まない。昨四日、病院の待ち時間にページを開いて途中から少し進んだが、このとき強く思うことがあった。

 

 江戸時代から寺子屋などで「読み・書き・算盤」の庶民教育が行われており、当時の識字率は世界でも稀にみる高さだったと聞く。明治五年の学制令以来、全国で小学教育が義務化され、それが大正・昭和の時代にどのように変わっていったのかということが、この本でよく分かる。

 

この日に読んだ部分で強く感じたことは、我が国の教育という領域に限らず、政治そのものが底辺の庶民にまでかなり細やかな配慮を見せていたということだ。

 

 明治維新以来、我が国は欧米列強を始め、世界と深く結びつくようになったが、昭和に入って世界恐慌の余波を受けた「昭和恐慌」によって大不況に陥り、底辺層は子供の身売りをするまで困窮する状態だったが、そのような社会の状況をつぶさに感じることができる。

 

ふと、当時の為政者たちが無謀な戦争に突き進んでいったのも、こういった社会情勢が根底にあったのかもしれないなどという思いがよぎった。

 

 我が国の歴史を遡ると、日本列島に人々が辿り着いた太古には、家族単位で採集などをしながら生活していたと思われる。それが数代続いて人口が増えていき、それがさらに膨らんで集落を作るようになり、その中から集落をまとめる人物が現れるようになったのだろう。

 

それが一層大きくなっていくと、その中から才覚のある者や力を持つ者が出て来て支配者となり、徐々に支配と被支配という関係が生じていったと思われる。何しろ記録が残っていないため、古代史の専門家たちも様々な遺跡などから発見される遺物などによって類推するしかないのだろう。

 

 一万年も長く続いていたと言われる縄文時代の間に、各地に小さな部族国家のようなものが出現するようになったが、出土する土器などの広がりを見ていると、当初は平和裏に交流が続いていたのかもしれない。

 

やがて部族間で勢力争いもある程度生じたのかもしれないが、それが無駄なことであることに気づいた部族長たちによって話し合いが行われ、彼らがその連合国家の頂点に立つ人物として推戴したのが呪術などを司っていたと思われる女性卑弥呼ということになるようだ。

 

未だにその連合国家「邪馬台国」が何処にあったのかという議論が続いているが、その記録は魏志倭人伝しか残されていないためになかなか定まらない。その後、この連合国家が発展して大和王権が誕生し、九州から東北地方にまで影響を及ぼすようになっていったのだ。

 

その後大陸との交流がある程度活発化して大陸の様式も取り入れてきたが、我が国が海に囲まれていたおかげで大陸諸国の過剰な影響を受けることもなく、独自の発展を遂げてきたわけだ。

 

 今のNHK大河ドラマ「光る君へ」では、平安時代の為政者である天皇や高級官僚の公家たちが底辺と深く関わる場面は少ない。この頃にはかなりの身分格差が生じて今では想像できないくらいに貧富の差もあったのではないかと想像しているが、上層部が底辺の庶民を慮る政治は行われていたのだろうか。

 

 いろんな歴史から類推して、現代社会を俯瞰してみるのもまた面白い。ずぶの素人に過ぎない一老人が余生の一ページずつを重ねて、これもまた心を満たしてくれることと自己満足をしているが、今あの本がその手助けをしてくれているようだ。ご恵贈に感謝しながら、少しずつ読み進めるつもりでいる。

 

 読んでいただき、ありがとうございます。