大腸ポリープの摘出手術:入院受付と病室
入院受付の前では先客がいたのでしばらく待たなければならなかった。早速トイレに行って排便を済ませたが、相変わらず水状のものがシャーッとばかりに出た。
待ち時間はそれほどかからなかった。順番がきて入院のための保険証の確認や書類の点検を受けて入院手続きが終わり、病棟に向かうことになった。過去に、令和二年八月に続いて年明け早々の一月に二回と都合三回の入院手術を受けたが、その時には何れも五階東病棟だった。
四回目となる今回は六階西病棟だ。ナースステーションに向かうと、事務職員が待っていた。彼女は
「まだ少し早いですが、病室にご案内します」
と言って案内してくれた。ここまで時刻に遅れてはいけないと急いでやって来たが、どうやら入院は二時からで少し早過ぎたようだった。
彼女の名札を見て、
「Kさんですか? (居住地)○○ですね」
と言ったところ、
「初めての方は読めない人が多いですが、よくご存じですね」
と言った。この姓は戦国時代からある特有の姓だが、彼女はそのことをよく知らなかったのかもしれない。
妻は早速持参した大きなバッグからいろんな物を取り出して整理しており、私はその間にもトイレに入った。すると妻は、「テレビ視聴用のカードを買ってくるように」と言って千円札を渡した。
退屈な病院生活だ。旧知の方から届いていた著書を持参していたが、その小さな活字を追う気持ちになれるかどうか分からない。エレベータ室前の券売機の所へ行き、テレビが見られるようになるカードを買って来た。
二時を回ると直ぐに、気持ちよい挨拶をしながら若いT看護師が訪れた。彼女は私がテレビや窓のある側のベッドの柵を取り外していたのに気づいて、
「ベッドから落ちると危ないですから・・・」
と言いながらそれを元に戻した。
彼女は数枚の用紙を示して、それに回答するように求めた。その中には認知状況や身体機能などの生活能力に関するものがあり、入院中にどの程度の介助が必要なのかを知るためのようだった。
彼女は二度三度と訪れ、血圧や血中酸素量を計ったり脚の太さや体重などを測定したり、入院中の留意点や今後の予定などについて説明したりしていたが、とても丁寧で誠実そうな初々しさに、過去の現役時代の生徒たちの姿と重なっていた。
その内に、手術用のパンツなどの衣服を持参した。手術の時には、行くときには歩いて行くが、手術後は車椅子で戻ってくるようだ。手術の時刻が何時頃になるか尋ねたところ、どうやら他の患者の手術が行われているようでまだ特定できなかったようだ。
病室からの眺めは、遠くに市街地が望まれ、眼下には満車状態の大きな駐車場が広がっており、これは私たちがいつも止めている駐車場かな? と思ったが、よくよく見たところ左手には二棟の建物が見えており、どうやら職員駐車場のようで、これだけ多くの人々がこの病院で働いているのだと改めて思った。
妻と雑談したりテレビを観るともなく観たりして過ごしていたところ、四時前になってようやく看護師が
「お待たせしました」
と言ってやって来た。
彼女は妻に向かって
「手術は一時間ほどですから、もう帰って頂いてもいいですよ」
と言ったが、後でよくよく考えてみたところ、コロナ禍以降は今でも付き添いなどが厳しく制限されているのだ。
彼女に案内されるままついていくと、病室のすぐ隣の扉からエレベータ室には入ったが、そこは先ほど昇ってきた所とは裏表の位置にある医療用のエレベータだった。一階に降りて少し歩くと、一月半ほど前に内視鏡検査を受けた部屋と同じ所に着いた。
つづく
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