薬効と副作用

 

 古来、人々は病気に罹ると効果のある薬を探したり、更にそれを処方する薬師(くすし)や名医を求めたりしてきたことは歴史が物語っている。薬は「使いようによって毒にも薬にもなる」と言われてきたように、効果があるからと言って闇雲に薬剤を摂取すればよいというものでもない。

 

 人間には外部から侵入する細菌やウィルスなどに対して抵抗する力がある程度備わっているが、先の中国武漢に端を発した新型コロナウィルス(コロナ)は燎原の火のごとく世界に広がって猛威を振るい、多くの人々の尊い命を失われた。

 

外部から侵入してくる病原に対する抵抗力は、加齢とともなって徐々に失われていく傾向があるようで、これは誰にでも訪れるといってよいものかもしれないが、この感染症の流行時には闘病中の人ともに高齢者の警戒が喧伝されていたことは記憶に新しい。

 

 加齢は極めて厄介な宿命のようなものだ。以前にも述べたことがあったが、私は定年退職してから二年余り過ぎたあたりから皮膚の一部に炎症が出始め、多くの皮膚科専門医を訪ね歩いたが、これが完治するということはなかった。

 

皮膚炎と言えばすぐに菌などによる感染症と思いがちだが、これはそういうものではない。専門医には内因性の病気だと分かっていても、その原因や効果的な対処法が分からないまま治療を続けていたが、年を追うごとに症状は酷くなるばかりだった。思うに、昔、老人性掻痒と言っていたのではないだろうか。

 

 徐々に症状が酷くなっていき、体中が真っ赤になったこともあり、その原因や効果的な対処法を探し求めてきた。五年ほど前のことだっただろうか、この病気が「免疫によって引き起こされる難病だ」と突き止められたようだったが、多くの皮膚科専門医の反応は鈍かった。

 

これに効果のある薬剤を知らなかったためなのか、従来通りの塗り薬を処方されていたが、三年余り前にようやく効果的な服薬を処方してくれる専門医が見つかり、そこで受診するようになると、その効果はてき面に表れて症状は一気に改善された。

 

しかし、この薬には大きな副作用があった。消化器系、特に大腸に大きな副作用があり、下痢状態になって一日に何度も便意を覚えるようになったのだ。主治医は当初からそのことが分かっており、「市販の正露丸を服用するように」と指示され、それに従っていると確かにその効果を感じた。

 

 ところが、その内に排便に血が混じったり、粘液が出たりするようになっていき、やがて便意を覚えてトイレに駆け込むと、それが便ではなく血の塊だったり、粘液だったりするようになっていたが、時には腸内の便が全て出たのではないかと思われるほど大量の排便があったりした。

 

何度もトイレに駆け込んだり大量の排便があったりしても、お腹がすっきりとすることがなく、これらの状態は外出時に困ることがしばしばあった。朝から排便を済ませていても、いつの間にか便意を覚えてトイレを探さなければならなかった。

 

一層尾籠(びろう)な話で申し訳ないが、下手をすると下着を汚してしまいかねなかったのだ。そこで一旦正露丸の服用を止めて他の漢方胃腸薬に替えてみた。それでもおなかの調子に大きな変化はなかった。

 

 今年の初め頃だっただろうか、受診時にこの状況を説明して、

「正露丸は大丈夫なんでしょうか?」

と尋ねたところ、主治医は

「他の病気があるんじゃないですか?」

と言って取り合わなかった。

 つづく

 

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