ご著書の恵与

 

 昨二十日の午後、郵便受けを除くと小包が入っていた。「いったい誰から何が送られてきたのだろう?」と思って送り主を確認したところ、すぐに分かった。それは一月余り前に、私のブログに初めてコメントを頂いたF氏からだった。

 

彼は定年後のライフワークの一つとして郷土史の研究をしているようで、その一環として室町時代後期の国人「依藤太郎左衛門」について検索していたところ、私がかつて投稿していたブログ記事が目に留まり、すぐにその投稿者が私だと分かったようで、コメントをいただいていたのだ。

 

 思い起こすと、既に二十年余り前の三月三一日のことになる。私は当県で二七年間勤務した最後の日を迎えていたが、この日の出来事は今も忘れられない。前日に電話が入り、電話主の孫である生徒のことについて翌日に面会したいと言ってきたため、これに応じていた。

 

県庁近くの公館で退職辞令を受けて学校に戻って来た午後四時過ぎくらいの時刻だっただろうか、生徒の祖父母と両親が来校したので校長室に入ってもらった。教頭も同席していたが、ここは先ず校長が対応しなければならない。

 

ここでの詳述は避けるが、終始祖父が話をしていた。それは孫可愛さのあまりだったのだろう。かなりの時間彼の言い分を聞き、この生徒の扱いについて結論に至った経緯を説明していた。

 

該当する生徒について職員会議で討議して結論を出していたが、その生徒がどのような学校生活を送っていた生徒だったのかなどについて熟知していなかったために説得力を欠いており、結局学年主任と担任を呼んだ。その時の学年主任がF教諭だったのだ。

 

 彼にその生徒の学校生活やここに至った経緯などについて尋ねたところ、彼は冷静かつ明確にこの生徒に関する日常の様子や問題点について説明した。すると、それを聞いた祖父は態度が一変し、この問題は一挙に片付いた。祖父はどうやら孫娘の日常について何も分かっていなかったようだ。

 

彼は国語担当の教諭でとても穏やかな感じがしていたが、専門性はもとより芯にはしっかりとした教育観を持つ礼儀正しい人物だったと記憶している。彼とは同じ屋根の下で僅か二年間だけしか共にできなかったことが、今更ながら悔やまれる。

 

 彼から恵与いただいた著書「小説にみる対象・昭和の教育あれこれ」は、共著を除いて三冊目のようだ。早速紐解いて二十ページほど読み進んだが、生来の遅読な上に活字が小さいため、読破するにはしばらく時間がかかりそうだ。これからじっくりと時間をかけて拝読したいと思っている。

 

 読んでいただき、ありがとうございます。