戦争の被害者

 

 朝の連続ドラマは、戦前の全体主義から民主主義へと移行しようとしていた終戦後一、二年の混沌とした時期の社会状況を映し出していた。そこに在るのは、米軍による人口密集地への絨毯爆撃によって住む家を失っただけではなく多くの生命を奪われた社会の実情だ。

 

荒れ果てた街には親を失った子供たちで溢れ、悲惨な状況には目を覆いたくなるほどだ。社会秩序が壊れ、生きていくためには何でもしなければならなかった時代だった。ドラマの場面を観ていてその時代考証には多少の違和感を覚えているが、それでも昔のことを思い出すことができる。

 

戦争真っただ中の八月半ばに生まれた私は、ちょうど二歳の誕生日を迎える頃に終戦を迎えていた。米軍の爆撃機や戦闘機が飛来していた頃のことは何も記憶にないが、戦後数年経った四、五歳の頃まで米軍の飛行機に襲撃される夢を時々見ていたことが記憶に残っている。

 

それは母に背負われて街に出かけた時に空襲に遭い、私を背負った母は逃げ惑って防空壕に駆け込んだという話を聞いていたので、その体験を記憶していたのか、或いは大人たちの話を聞いていたことが夢に現れていたのか、よく分からない。

 

 終戦後しばらくは、今では考えられないほどの物不足に喘いでいたことが思い出される。当時幼かったのでよく分からなかったが、今日のドラマの場面を観ていて、我が家でも孤児の兄妹をしばらく預かっていたのではないだろうか。これは両親から直接聞いたわけではなかったが、親たちが周りの大人たちと話していた内容を聞いていたのだ。

 

田舎で戦前から山林事業を営みながら専売品などを扱っていた我が家には多くの人々が出入りしており、その兄妹が我が家に来た経緯などはよく分からないが、彼らを我が家でしばらく預かっていたことだけは事実だったと思っている。

 

 今も世界の各地では戦争が続いており、その惨状が報道の映像を通じて伝わってくる。その戦争を引き起こした当事者は、その後も後方で変わらぬ生活を続けているが、戦火にまみれる現場では全く罪のない人々が犠牲になり、戦災孤児が日々生み出されている。

 

我が国ではそんな状況と関係がないような平和な日常が続いているが、これもいつ壊されるか分からない。いくら「話し合いで」と言ってみても、征服欲に駆られた世界の指導者たちの中には、客観的な思考回路が繋がらない者がいるという現実があり、私たちはそのことを直視しなければならない。

 

今続いている戦争は一日も早く終わらせて戦争の被害者が増えてほしくないが、世界の指導者には様々な思惑が交錯しているようで、平和の願いはなかなか届かないようだ。

 

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