今日は令和六年六月六日と、六が三つ揃いました。朝八時から大谷選手の試合を観ていたところ、待望の十五号2ランが出て、最後の打席でもあと一伸びというところでしたが、六打数二安打で先ずは「めでたし」といったところです。

 

 ハンコはどうなったの?

 

 昨日の朝刊には、河野行政・規制改革相が内閣府の有識者会議を廃止すると表明したという記事が掲載されていた。そのきっかけは、この会議の委員が提出した資料に、中国国営企業のロゴマークが入っていたということのようだが、その詳細は分からない。

 

 この記事を読んで思ったことは、政府や地方自治体で行われている有識者を招いて行われている諮問会議などの中には結構いい加減なものが少なくないのではないかということと、あれだけ河野氏が張り切って進めていた「判子(ハンコ)廃止の動きはどうなっているのか」ということだった。

 

この捺印廃止の規制は、印鑑証明を要するような契約や銀行印などは対象外だったが、様々な日常生活の中で使われていた三文判の捺印などが使われており、誰でも手にできる市販の印鑑には個人を特定することができなかったために全く意味がないと感じていた。

 

今でも行政関係の申請や承諾書などでは押印がほとんど省略されているように思われるが、自治会費の領収証や任意に加入している組織における会計処理などでは旧態然とした状況で、そこまで意識を変えるのは難しいと感じている。

 

また、先日自動車教習所に高齢者講習の申し込みをした折には、受講日当日に印鑑を持参するように求められており、道路交通法の一環として行われているにもかかわらず、未だに三文判を必要とされることに違和感を覚えた。

 

幼稚園や小学校で「よくできました!」などと押される印判などは、手書きの代わりに便利な面があるため大いに活用すればよいと思われるが、先述のような例で三文印が求められるようなことがあると、印鑑を探すのに慌ててしまう。三文判とは早く縁を切りたいと思うが、世間の意識はなかなか変わらないようだ。

 

 読んでいただき、ありがとうございます。