次男の突然の帰省

 

 五月二日の夜十時過ぎ、次男から妻に電話が入り、彼女によると「今(隣の)K市に来ているが、今夜行きたい」と言っていたようだった。その時、私は体操をしていたが、間もなく終わって寝室に向かう予定にしていたところだった。彼が帰って来るのであれば、是非とも顔を見て話をしたいと思った。

 

 しかし、彼の電話があってから「今か今か」止まっていたが、彼はなかなか来なかった。彼は十一時半過ぎになってようやく到着し、いい気分に酔った彼の顔を見てホッとした。彼はこの日、昼間から何度も妻のスマホに電話を入れていたが、通じなかったようだ。

 

積もる話をしていると、いつの間にか日付が変わっていた。過去にはTV各局のニュース番組を追いかけたりしたのでそれくらいの時刻まで起きていることが多かったが、今ではできるだけ早く休むようにして十一時過ぎくらいには眠りに就くようにしている。

 

彼が何で隣のK市に来ていたのか気になっていたところ、中学校の教員をしている高校時代の友人が、この春の異動で校長に昇進したため友人らが集まってその祝賀会をしていたのだ。この夜も友人の一人に送ってもらっていたようだった。

 

 彼はもっと早い時刻に帰りたいと思っていたところ、ついつい時が経つのも忘れて遅くなり、申し訳ないと言っていたが、久しぶりに出会う高校時代の友人たちとの宴会はこよなく楽しいものだ。私自身も多々経験しており、遅くなってしまうことは仕方がない。

 

三人で積もる話をしている内に、私はいつしか眠気を感じなくなっていた。彼は「翌三日、伊丹空港からの十時過ぎ発の飛行機で帰京するため、最寄の同空港経由大阪行きの高速バスの乗り場まで送って欲しい」と言っており、これを快諾した。

 

午前一時過ぎに寝ることになってベッドで横になったが、既に体内時計が狂ってしまっており、なかなか眠られなかった。しばらくしてベッドを抜け出し、階下のリビングへ行って久々に炭酸で割ったリキュールを飲みながらテレビを観るともなく観たり、新聞を隅々まで見たり、届いていた郵便物の文書を確認したりしていた。

 

 二時頃だっただろうか、心配した妻がやって来たので彼女には気にしないで寝るように言った。何とかそのままここで眠りたいと思いながら、三時半くらいまでの時刻を覚えていた。その後、いつの間にか眠っていたようだ。起床時刻は体内時計が働いたか、六時前に目覚めたが明らかに睡眠不足だった。

 

 七時前に次男が起きて来たが、七時四十分くらいには彼を送って家を出なければならなかったため、如何にも慌ただしかった。妻が用意した朝食に舌鼓を打ち、予定の時刻に妻も一緒に家を出た。

 

彼が言っていた高速バスの停留所はこれまで行ったことはなかったため、カーナビを適当に設定して我が家から十五㌔ほどの道矩を辿った。目的地の近くに着くと、彼がスマホの地図で確認しながら案内してバス停留所近くの駐車場に到着した。

 

 三人で側道沿いの道を横切って中国自動車道への階段を上っていくと、そこには大阪方面へ向かうバスの停留所があった。彼はバスの時刻表を見ながら、「このバスだ」と言っていたが、それには8:39とあり、まだ三十分ほどの時間があった。

 

いろんな話をしていると、トランクを引きずった初老らしき一人の女性がやって来て黙って立っていた。十五分ほども経っただろうか、私の気ままな下腹は便意を伝え始めた。

「トイレに行きたくなったわ」

と言ったところ、彼は

「ここにはトイレがないから、早く帰って」

と言った。

 

彼がバスに乗るまで待って見送りたいと思っていたが、この生理現象は如何ともし難い。妻と二人、気を付けて帰京するように言って彼と別れ、階段を降りて駐車場の方に向かっていると、彼は階段の途中まで来て手を振りながら私たちを見送っていた。

 

親子の情に心を揺さぶられながらハンドルを握った。「家まで我慢できるだろうか? 途中の店などでトイレを借りるか」などといささかの不安を抱きながら二五分ほどハンドルを握り続けて何とか家までたどり着いたのだった。

 

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