春寒の京都バスツアー4

 

 「北野天満宮」

 

 バスは京都市西部の嵐山(右京区)から東に向かって上京区に在る北野天満宮を目指し、午後三時前に駐車場に着いてバスを降りたが、ここはこの日の小旅行で最も楽しみにしていたところだ。早速参道に出て本殿の方を目差した。

北野天満宮は学問の神として菅原道真(菅公)を祀る神社で、ここが全国一万二千社に上る天満宮の総社だ。その菅公が学者(文章博士もんじょうはかせ)ながら異例の昇進をし、それを妬んだ公卿たちによって大宰権師(だざいのごんのそち)として今の福岡県大宰府に配されたことは多くが知る。

 

その折、梅花を愛でていた菅公が、「東風吹かば 匂い起こせよ梅の花 主無しとて 春な忘れそ(春を忘るな)」と詠んだと伝わる。その後京都では雷鳴が轟いて災厄が続き、これを菅公の祟りと恐れた朝廷は彼を神として祀ったことが天満宮の始まりであり、梅花との所以だろう。

 参道脇には数体の大きな臥牛の像があり、代わる代わるそれに触れていた。これも失意の菅公が、「自分が死んだら牛に引かせた台車に乗せ、牛が止まった所に以外を埋めよ」と遺言したことに依るようだ。我が家では父が床の間に置いていた銅製の臥牛像を思い出していたが、あれはどうなったのだろう。

この神社には梅園があり、それを観賞するには入園料が必要だった。できれば入園したかったが、何と言っても僅かな時間しか無かったために今回は諦めざるを得なかった。次回となれば一年先のことになるだろうが、できればこの先一年元気に過ごして再度訪れてみたい。

 

 参道を進んで門をくぐると、左側にはその入園手続きの受付と並んで朱印所があり、T氏夫妻はその前の列に並んでいた。私たちはしばらく周辺の様子を見ていたが、右脇の方に小さな太鼓橋があり、その前に数人の人々がいて梅園の中に咲き誇る花の一部を眺めていた。


 

その様子を見てそこへ行き、太鼓橋の手前から奥に少しだけ見える梅園の様子をカメラに収めて仲間の所へ戻った。神殿の方に行くことになり、まだ列に並んで朱印の順番を待っていたT氏に声をかけて境内の奥の方へと進んだ。

 右手に穴が開いた竹筒から水がチョロチョロと流れ落ちる手水所があり、そこで手を清めてから神殿に向かった。何しろ配置図が手許に無いため、広い境内の配置が分かりにくかった。

 

すると右手に銅板葺きの緑色の屋根を載せた荘重な造りの建物群が目に留まり、その手前には紅梅が咲いていた。そこには結構な人だかりがあったが、ここが社務所のように思われた。

それを横目に見て、先ずはお参りだ。妻に小銭をもらって賽銭箱に投入し、子や孫たちの健康と健やかな成長を願った。神殿手前には我が家の家紋と同じ左三階松の門が付いた提灯が建っていたので、妻と交代で写真に納まった。

 神殿前から右手に折れて奥に進み、神殿の側面を見たところ、この神社は拝殿や幣殿、本殿といった三連の神殿形式とは異なっていた。神社造りの形式などはよく知らないために調べてみたところ、ここは東照宮と同じ権現造りのようだった。

その右手には様々な祠が祀られており、そこにも紅梅や白梅の花が咲いていた。そこからさらに奥の方へ少し進んでみたが、何しろ集合時間のことが気になっていたため、途中で引き返した。

 グループの仲間とはぐれてしまったため、駐車場の方へと歩を進めた。駐車場手前の門(楼門?)の外に出て、そこの脇に立札があったので説明を見ていたが、何しろ文字が小さく、それに関心を示す人は誰一人として見当たらなかった。

 

やがて、行方が分からなくなった私を探していたというグループの人たちと合流してバスに乗り込んだ。バスはここから南下して京都南ICから高速道路に入り、一路北播磨を目指して西進し、夕刻六時に無事に帰着したが、この日の楽しい小旅行を世話してくれたKa夫人に感謝だ。

 

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